教育福島0015号(1976年(S51)10月)-009page
ることから出発したいものである。そして、これらの児童生徒の行動、問題傾向の実態に即応して学習指導を展開したり個別指導を行ったり、教育相談等により個々の児童生徒の実態に即して指導に当たることがたいせつである。
五、集団思考を生かした教科指導
教科指導の分野で、集団思考をどのように生かすかということは、生徒指導の重要な役割である。たとえば、児童生徒が現在直面している問題を学級で取り上げるとき、児童生徒は自由に意見を述べ、ときには意見が対立したり、補い合ったりするような場合、教師の助言を受けながら問題解決の方向をさぐり当てていく。即ち、集団思考の基本過程と言われる相互誘発、相互かっとう、相互補足の過程をとって、一人一人が集団意識、集団への所属意識の素地を身につけ、人格を形成していくのである。教科指導の場合もこれと全く同じで、教師の指導・助言等の方向づけのもとに、さまざまな考えを出し合いながら課題が解決されるのである。このように集団思考を生かして教科指導と生徒指導の両面から学習集団の質を高めていくことによって、結果として一人一人の児童生徒の質の高まりが期待されるのである。
六、教科指導と人間関係の調整指導
児童生徒には、自分の所属するグループとか、集団の中で積極的に活動しみんなのために尽くして、みんなから認められたいとか、互いに仲よく助け合ったり、友だちに親切にし、みんなから喜ばれたいとかいう人間本来の欲求がある。教科指導においても、この人間本来の欲求を重視し、みんなの前で発表したり、自分の調べてきたことをみんなに寄与できる喜びを、どの児童生徒にも得ることができるように配慮することが必要である。そのためによりよい児童生徒の相互関係を重視し自分の考えや感じとったことを自由に表現できるような人間関係をつくることに努めることが重要である。
また、教科の興味・関心を誘発させる条件の一つとして教師と児童生徒の人間関係がある。どの教科でも「好きだ、おもしろいなあ」という学習のふんい気を作りあげていくことが学習の基礎になっている。これは、教師と児童生徒の人間関係をよくすることによって作りあげられるのである。特に、知能の低い児童生徒ほど、教師の好き嫌いがその教科の好き嫌いと一致している傾向がある。F市B中学校で調査した教科と教師の好き嫌いの関係調査がある。それによると、
先生が好き、教科も好き (五三%)
先生は好きだが教科は嫌い(二三%)
先生と教科は関係なし (二四%)
のような実態である。このようなことから教師と児童生徒の人間関係を温かい、そして深いものにしていくこととともに、教師はいかにして児童生徒に好かれる教師になるかということが大きな課題ではないだろうか。
集団場面における生徒指導
生徒指導は、もともと児童生徒一人一人に目を向けた指導であるが、教育活動の多くの場面は、学校・学年・学級・グループという集団のもとでなされていることから、この集団場面における指導を抜きにしては生徒指導はあり得ないのである。この集団は、教師と児童生徒によって構成されているものであるから、日々の指導の中で、教師と児童生徒のコミュニケーションが保たれていることが重要である。児童生徒どうしでは、自分の考えをはっきりと持つ個の確立、相手を尊重して話し合う対話の精神、仲間意識や相互援助による交流性などによる望ましい人間関係によって支えられている。そして、よりよい相互作用が集団全体を高め、その集団の高まりが、児童生徒一人一人の高まりへと期待されるものでなければならない。
一、集団の成立と発展のための要件
一般には、"われわれという感情"すなわち、連帯意識をもった人々の集まりが集団であると定義されている。
集団として連帯意識をもつにいたるための、また集団が成立し発展するためには次の要件があげられよう。
(一) 目標について、共通理解をもっていること。
(二) 集団の成員間に、心理的結合があること。
(三) 役割の分化がみられ、役割について共通理解をもっていること。
(四) 各成員に所属感があること。
(五) 各成員の個人的要求が充足されること。
これらの要件がじゅうぶんに満たされているときは、集団の凝集度一まとまりの程度)が強く、士気(モラル)は高揚するものである。
二、望ましい集団意識を育てるために
望ましい集団意識とは、集団の内部で、成員相互が深い理解と信頼に結ばれ、楽しいふんい気が感じられることであり、いたずらに排他的、閉鎖的であったり、社会的に偏った方向をもっていないことを意味する。
このような集団意識を育てるために特に、次のような点に配慮する必要がある。