教育福島0015号(1976年(S51)10月)-024page

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教育随想

 

「やる気」になったM男

 

高島 現

 

高島 現

 

「……メガネなんかかけて、きびしくって、ほんとにいやな先生です…。」

昨年四月「五年生になって」についてのM男の作文である。学級を新しく担任して三日目、M男は、はやくも拒否反応を示し始めた。暴力をちらつかせながら、友だちに無理難題を押しつけ、喜ぶはずの体育でさえも、思いどおりにならないと腕まくらで校庭に寝そべるM男……。そんなM男には、口うるさいわたしが、どうしても目の上のこぶだったのだろう。学習面でも著しい遅進児のM男にとって、学校とは注意を受ける所であり、なんの学びがいもないたいくつな場であったのだ。−M男をどう指導したら良いのだろう。M男が良くならない限り、五年三組の学級づくりは不可能である。−M男をルールと罰則で追いつめては…。しかし、それだけでは、彼の心情をゆさぶり、内面の覚せいを促すことはむずかしい……。結局は、彼の願い、苦しみをわがものとし、時間をかけてM男とともに歩むしかない。そして、なによりも学びがいのないたいくつな学校を、学びがいのある充実したM男のための学校につくり変えなければなら.ない。1放課後、M男を含む遅進児の個別指導、 「M君、あしたは必ずここを読んでもらう。さあ、何回も練習しよう。M君は本当はできるんだ。やらなかっただけなんだ。」……にが虫をつぶしたような顔をしながらも、M男は、たどたどしく読み始めた。i次の日「M君、○ページを読んでください。」返事が小さい。だいじょうぶだろうか……。練習のようにはいかなかったが、それでも五行ぐらいは、読み通した。「うまい!」 わたしは、この時とばかり拍手をしながら大声でほめてやった。同時に、クラス全体がいっせいに拍手をし始めたのだ。横暴なM男もきょうばかりは、顔を紅潮させながらてれている。ありふれた教育の光景であるが、彼にとっては、感動的な体験であり、初めて自分が認められたのである。 四時半からは,特別クラブでの剣道。1七十数名のクラブ員。元気なかけ声、からだの大きい六年生、自分より上手な三年生。どれもが全く新しい環境である。この世界では、もはや、彼のわがままは通用しない。否、自分自身への甘えすらも許されないだろう。今までのように、友だちをいじめているどころではなくなってしまった。短気ではあるが、生来負けず嫌いのM男は、火、土曜日の練習日以外にも、毎日のように練習を始めた。 「M男、なんだ、その打ち方は……。」教室とは、うって変わったわたしの形相に、彼もだいぶめんくらったにちがいない。しかし、その努力が実り、三月の剣道大会には、五年生の部で、彼は見事優勝したのである。剣道を始めてまだ八か月足らず……。だれが彼の優勝を予想したであろうか。

M男は、ゆっくりと地殻変動をし始めた。もちろん、粗野な行動が完全に消失したというわけではない。しかし学校生活に学びがいを見い出したM男の「やる気」は、次々と転移し、お楽しみ会の司会、劇「刑事コロンダ」の監督へと発展していったのである。

 

乱暴者から学級のリーダーへ………。

 

彼はもう、アウトサイダーではない。あいさつも、場に応じたことばづかいも徐々にではあるが、できるようになってきた。

学習面、行動面等で急激に変容せざるをえなかったM男………。

彼は、確かに苦しかっただろう。

 

四月、持ちあがり、六年三組。

 

M男からの手紙の返事がきた。

「先生っと、はじめってしゃべったとき、ぼくは、すごく、あがりましった。…………………べんきょうやるときはまじめにおしえってくれるので…………いつまでもそんな先生でいってください。剣道優勝できったことわうれしいかったです。先生、ぼくは、こっうこにはいりったいです。

M男

メガネがにやう先生(原文から)

 

M男を受け持って一年、ようやくメガネが似合ってきたようである。

(伊達町立伊達小学校教諭)

 

 

 


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