教育福島0015号(1976年(S51)10月)-028page
教育随想
Y児との出会い
竹野本子
特殊教育にたずさわって五年目、一番心に残っていることは、初めて受け持った子供たちである。特に、Y児との出会いにはとまどうことばかりで無我夢中の毎日であった。
四月当初
〇 五年生になってやりたいこと、努力したいこと。の話し合いでは、「なにもやりたくねえ。」のいってんばり。
○ 授業中は、「そんなの書きたくねえ。」「こんなのわかんねえ。」などと、わめいては床に大の字にねる。時々起きては奇声を発する。
○ 学習中五分と座っておれない。発問するとなんでも自分がまっ先に言わなければ承知しない。友達のあとにでも指名されるものなら、「あと勉強やんねえ。」と、言ってはよそ見をしたり、手わすらしたりする。どうしても、すぐ学習からはみ出てしまうY児。・・・学習の秩序などあったものではない。
子供たちの帰ったあと、私は言いしれないざ折感におそわれ、自分の無力さに涙を流したことが幾度もあった。そのつど、「根気と、元気と、やる気。」でがんばることだと自らに言いきかせ気を取り直しては立ちあがった。
Y児の家庭は、父親が自由労務者で大酒飲み、その上酒乱であばれるため、避難しなければならないことも度々でそのことがこの子の性格をゆがめてしまったのではないかと思われた。
このようなY児の異常な行動は、この子が担っているてんかんという障害がそうさせるだけでなく、家庭生活のの放任からくるわがままや横着さが大きな誘因になっていること。更には、愛情不足もその基因の一つであると判断し、きびしさの中にも家庭的な温かいふんい気をかもしだすような指導態度で臨むことが最も必要ではないかと考えた。
そこで、学習中はもちろん、休み時間や放課後も常に子供たちと行動をともにし、いっしょに走ったり遊んだりしてからだをぶつけ合い、時には大声で笑ったり本気で怒ったりして、魂と魂のぶつかり合いを大事にしていった。
汗を流していっしょうけんめい作ったじゃがいもを、土だらけになっていっしょにほり、「わあ、大きいぞ。」「いっぱいついているぞ。」と言って、子供たちと喜びをわかち合った時のY児の満ち足りたような顔・・・また晩秋、手をまっかにして大根洗いをし、それをつけ込んで冬の給食に「おいしい。おいしい。」と、言って食べているY児の明るく輝く表情を見て、私はそこにほのぼのとした心のふれあいを感じたのである。種をまいたその日から教師ともどもどろまみれになり、ともに期待をよせ世話をしてきたことが、ついに、私の心情を感得してくれるようになったのかもしれない。
二学期も終わりに近くなると、Y児のわがままは少なくなり、みんなといっしょに行動できるようになった。私が汗を流して作業をしていると、「ぼくたちゃっから休んでいっせ。」と、言ってくれる。また、清掃などもまじめにやり、R先生からは、「体育館の掃除はY児がいないと仕事にならない。」と、言われるまでになった。
二年目、みちがえるように素直になったY児。「先生、ぼく学校おわるとバイクの免許とっから、先生を乗せてどこへでも連れて行ってやんべえ。長生きしっせよ。」と、言ってくれた。
そのY児は、私の手を離れて現在中学部の三年生になっている。毎朝の通学のバスの中や廊下などで会うと、わざと憎まれ口をきいては私のふきげんになるのを見て喜んでいるが、なにか困ったことに出会うと必ず私のところへ来る。「先生、定期券忘れた。」「ズボン切れたのでぬって。」「ハンカチ忘れたのでしかられるから貸して。」など。
私が意地悪して「先生のいやがることをしたり言ったりするからいやだ。他の先生に貸りな。」と、言うと、「あと言わねえ。ごめん。だって先生しか貸りる人いねえも。」と、しおれる。
わんぱくで、ちょっぴり甘ったれであるが、本当に憎めないY児。憎まれ口をきくことによって、積極的に人間的なふれあいを求めているのだろうか。
私は、Y児が心の美しい、表情の豊かな人間に成長し、いつの日にか、「先生、バイクに乗っせ。」と、言ってくる日を楽しみにしている。
(喜多方市立喜多方養護学校教諭)