教育福島0016号(1976年(S51)11月)-030page
教育随想
「手紙」
斉藤 征一郎
「十年ひと昔」というが、私も今年で教職十一年目を迎えた。ちょうど竹の節を一つ作り、第二の節に向かって出発したことになる。
第一の節をふり返ってみると、自分としては、誠心誠意努力してきたつもりであるが、果たして子供たちのすべての面に役立つことができただろうかと、疑問に思うことがたびたびである。
そんな私に、数年前の教え子のS子から次のような手紙が届いた。
先生のお元気な様子を知り安心いたしました。私も元気に中学校生活を送っています。二学期の中間テストも終わりほっとしているところです。
今、思い出してみると、「小学校の生活は、本当によかったなあ」とつくづく感じています。
クラスの仲間全員の協力は、私たちの学級をすばらしいものにし、立派な児童会を作りあげました。先生と一つの輪になることのできた私たちは、毎日がとても楽しく充実した学校生活を送ることができました。ですから今でも、先生やクラスの友達と過ごしたあの三年間をなつかしく思い出しています。
先生とは、いつでも一対一で親しみを持って話し合うことができました。本当に私たち一人一人をあたたかく理解し、ある時はしかり、またある時はいっしょになって心配し励ましてくださったことに感謝しています。
同封する作文は、「やればできる」という先生の教えを小学校の体験をとおして書いたものです。私は、これを一生の教えとして、勉強や運動に更にがんばろうと思います。
先生も、おからだにはくれぐれも気をつけて、あまり無理をしないようにがんばってください。 さようなら。
私は、同封されてきた作文を読んでいるうちに、いつの間にか、その子供たちとともに過ごした過去の世界へとすいこまれてしまった。
当時、全国学童泳力テストに参加するために、二十メートルも泳げなかったS子が、苦しい練習にたえ、ついに五十メートルを泳ぎとおし、いわき市大会で一位になったときの感激を思い出して書いたものであった。その喜びが、いまでも私には手にとるように伝わってくる。
厳しい練習の過程で、S子は何度やめようと思ったか、また私をどれほどきらいだと思ったことか。しかし、そうした努力の中からつかんだ栄光。その栄光を静かにふり返ったとき、初めて「やればどんなことでもできる」という教訓に支えられて得た貴重な体験。大会のあと帰校途中に食べた氷アイスのさわやかな味と、子供たちの満足な顔が、次から次へと浮かんでくる。
これは、S子にとっても、私にとっても一生忘れることのできない思い出の一つである。
とりわけ私にとっては、自分のいままでの児童に対する姿勢(厳しさと優しさ)が、誤っていなかったことを教えられ、勇気づけてくれた作文であった。
野口英世博士は、「私は、天才ではない。人の何倍もの努力をしただけのことである」と、その自伝の中に書いているが、私は過去十年間の教師としての理念を、「人生は、努力である。どんなに苦しくとも、最後まで歯をくいしばってがんばることがたいせつである。やり出したら決して中途半端で投げ出してはいけない」と考え、自分でもそうしようと努力してきたし、子供たちにも事あるごとに指導してきた。
私は、どんな子供でも必ず、豊かな、はかり知れない力を秘めていると信じている。その力を、教師と児童というわくをのりこえ、子供の苦しみや悩み楽しさを、ともに味わう中からみいだし伸ばしていきたいと思う。
本校では、現在体力づくりを主に研究を推進しているが、校庭や体育館で、歯をくいしばって鉄棒やとび箱にちよう戦している子供たちのひたむきな姿に心をうたれる。できない子ができるようになった時の喜ぶ顔を、またできる子が、さらに上手にできるようになった時の満足する顔を楽しみにしながら、日々の教育実践に励んでいきたいと思う。
(いわき市立小名浜第一小学校教諭)