教育福島0016号(1976年(S51)11月)-031page

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教育随想

 

教室の中で

 

小野 ひろみ

 

小野 ひろみ

 

浜通りの北端にあるここ新地高校に赴任して、今年で三年目になる。初めて家政科三年の授業に出た時、四十五名の女子生徒からなんとも表現できない圧迫感を受けたのだったが、最近は生徒たちより何年か多く生きてきた人間として、彼らと接することができるようになってきた。

本校は、各学年普通科と家政科一クラスずつ、生徒数三百名に満たない小規模校である。現在、私は一・三年の現代国語と、家政科三年の古典とを担当しているが、家政科の古典の授業でこんなことがあった。

 

六月二十四日二校時、『源氏物語』の「若紫」から、あまりにも幼なすぎる紫上の将来を案ずる尼君と、ゐたるおとなとの間で交わされた歌を扱っていた時のことである。尼君の

 

おひたたむありかも知らぬ若草を

おくらす露ぞ消えむそらなき

 

の歌について、前時の復習の意味で一人の生徒に歌意を尋ねたところ、立ち上ってはみたものの一言も話さない。しばらく待ったが無言なので、わからない部分を指摘するよう促した。みると小さい声で「おくらす露が」と言う。そしてまた無言。語尾まではっきり話すことを再度指示したが、あまりに時間を取り過ぎたために、生徒自身感情がこじれてしまったのだろう。ますます黙りこくってしまった。後で振り返った時、なぜああまで時間をかけて一人の生徒に答えさせようとしたのか不思議なくらい。その時はこのままあいまいに終わらせまいという気持ちが強かった。ことに入学以来、このクラスの生徒には副担任としてなにかと接する機会が多く、昨年の三学期に扱った短歌の授業では積極的に発言する生徒もみられ、成績はともかく、比較的楽しく授業を行ってきたのをいい傾向だと思っていた矢先だけに、この生徒の沈黙はつらかった。

「なぜはっきりと自分の意見を述べられないのか。間もなく社会人としての生活に入ってゆくことになるのに、必要な時話せなくなったらどうするのか」

そんなことを話しているうちに涙声になってしまった。「話す」ことに対する学生時代の苦い体験が私にあっただけに、どうしても他人事には思えなかった。その生徒がとぎれがちに歌意をまとめた時、五十分の授業はほぼ終わりに近づいていた。

このことについては、感情的になりすぎた点や、復習と生徒自らの意見発表の時間との区別を見失ってしまった点について深く恥じている。しかし、私が真剣に話させようとしていることだけは、生徒に了解されたと思っている。

語尾は濁してしまう傾向は、このクラスばかりでなく、本校の生徒全般にみられる。今後の授業の中で、自分の意見をはっきり言い切ることと、相手の話をよく聴くという「話し方の基本」を徹底させ、それらを通じて、生徒一人一人が他人の心情を思いやるやさしさを持ち、前むきにのびのびと進んでゆけるようになれば幸いだと考えている。

(福島県立新地高等学校教諭)

 

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