教育福島0017号(1976年(S51)12月)-017page
を伴う平安時代の竪穴も発見され、福島盆地内の平安時代の農民の生活の一端を明らかにする資料を得ることができた。
(2)三合谷地遺跡(岩瀬郡天栄村大字高林字三合谷地)
東流する広戸川の左岸、はんらん原の中の微高地にある遺跡であり、標高は二百八十メ トルほどある。当遺跡も東北新幹線工事のため、六月から七月にかけて記録保存として発掘調査を実施した。調査の結果、平安時代の土師器、須恵器と、掘立柱の建造物跡が発見されたが、路線外にはみだすため建物の規模を明確にすることができなかった。
孫六橋遺跡調査状況
(3)矢ノ戸遺跡(二本松市安達ケ原七丁目)
遺跡は、安達ヶ原の黒塚から更に東南一キロほど入った地点であり、阿武隈川の南岸に位置している。東北新幹線工事に先立ち、記録保存として四月から十一月まで調査を実施したもので昭和四十九・五十年度に続く第三次調査であり、今回の調査で完了した。
阿武隈川のはんらんによって形成された自然堤防の砂地を掘り込んで住居址がつくられ、更に内部に砂が堆積したため、非常に遺跡の判別がむずかしい遺跡であったが、三次にわたる発掘により路線敷内から三十数軒の竪穴住居址と掘立柱の建造物跡と土師器・須恵器・円面硯・鉄器などが発見された。
出土した遺物は栗囲式とよばれる奈良時代前半のものが中心であり、円面硯の出土は、すでに文字を書く知識層の人物の存在を示しており、「安達ヶ原に鬼こもれるはまことか」と謡われたような辺境ではなく、奈良時代にすでに単なる農民だけではなく、知識層も居住する地域であったことを示している。
矢ノ戸遺跡発掘状況
(4)柿内戸遺跡(郡山市富久山町柿内戸)
昭和四十八−五十年度に発掘した鳴神遺跡と東北本線をはさんで対縛している遺跡であり、地形的にも本来は同一遺跡とみられる。当遺跡も東北新幹線の事前調査として六月から十月にかけて発掘調査を実施した。
調査の結果、竪穴住居址三十六軒、土壌(長径一・五メートル前後の掘り込みの跡)約五十か所を発見し竪穴住居坑十軒の調査を実施したが、新幹線の工事に追われる矢ノ戸遺跡救援のため、昭和五十二年度に調査を繰り延べ
同上現場