教育福島0017号(1976年(S51)12月)-018page
た。調査の終了した十軒の住居址は、奈良末期から平安時代のものであり、土壙については遺物の伴出がないため時期不明であったが、住居址と同時代のものと推定されている。
鳴神遺跡とあわせると住居址が約六十軒となり、中通り地方では最大の発掘軒数になる。中央部が東北本線工事により破壊されてはいるが、奈良末から平安時代にかけての集落構造等を検討する上には、貴重な資料となると思われ、来年度の調査が期待される。
(5)道南遺跡(西郷村大字小田倉学道南)
遺跡は、東北本線西郷駅の東側にある遺跡であり、東北新幹線工事の事前調査として十一月二十四日から十二月下旬までの予定で第三次目の調査が実施される。
第一、二次調査により、五世紀の土師器を伴う竪穴住居跡が四軒発見されており、中通り地方では、数少ない五世紀の集落址として今年度の調査が期待されている。東北新幹線工事の事前調査として実施されるものである。
竪穴住居祉発掘状況(柿内戸遺跡)
(6)伊達西部条里遺構(伊達郡国見町から桑折町の一部)
昭和五十年度から着工した県営伊達西部ほ場整備事業により破壊される条里遺構について調査するものであり、今年度は総額百五十万円で国庫補助をうけて実施した。
工事予定の五十六ヘクタールに六十余本のトレンを入れた結果、溝六本が確認された。遺構の間隔は百八メートル、百十メートル前後を数え、当時の一丁=百九メートルに近似する数字を示し、注目される。
なお水田土壌の下から五世紀の土師片が撹乱層より出土している。また四十四号トレンチからは縄文時代後期の竪穴が発見され、保存か調査か検討を要する問題もでている。
同上現場
(7)上森屋段遺跡(石刀郡石刀町大字赤羽字上森屋段)
国営総合農地開発事業母畑地区の事業は今年度からほ場整備等の面工事に入り、今年度は百七十ヘクタールが予定されている。石川町及び東村の工事区について、分布調査・試掘等を行い森屋段遺跡では、五世紀の大型住居址二軒が確認され(未発掘)、当遺跡については現地表を削らず保存一縄文中期の土器片及び土壙出土の小田柿A遺跡については盛土により保存、土師片及び落込みが発見された小田柿D遺跡も大部分を現状保存(一部立会工事)、翁沢遺跡では弥生土器出土周辺を盛土により保存の協議がまとまったが、上森屋段遺跡については、十一月二十四日から約一か月の予定で発掘調査を実施することとなった。
試掘では、竪穴、焼土などとともに縄文前期土器片四十片、縄文早期土器三片、その他石器少量が発見されており、数少ない縄文前期遺跡の発掘として注目されている。
母畑開拓事業は、今後七〜八年にわたり、前記の石”町、東村をはじめ郡山市、須賀川市、玉川村、中島村にかけて、四千三百ヘクタールの事業が計画されており、埋蔵文化財は事業地内に約百五十か所ほど存在しており、今後大きな問題となることが予想される。
なお東村の横山地区は、試掘により住居址が六〜七軒確認され、大集落と判断されるにいたったが、工事は昭和五十二年度に変更され、新年度の問題として取り組むこととなった。
(8)関和久遺跡(泉崎村関平)
史跡指定のため昭和四十七年度から毎年一か月間の調査を実施してきた。今年度は、遺跡の東辺を画する大溝を確認する計画で十月二十日から一か月間の調査を実施した。
調査の結果、遺跡の南半部において東側の大溝三本が検出され、時代によってわずかではあるが、規模の変化があったことが確認された。しかし、北半部の輪郭は不明であり、改めて昭和五十二年度に取り組むこととなった。なお、今年度調査で、掘立柱建造物二軒が追加発見された。
今後、官衙としての規模のは握、中