教育福島0017号(1976年(S51)12月)-029page
教育随想
私の恋人たち
若杉 儀子
紅桜葉 笑顔に揺れる日ざしかな
校庭の老木に小鳥のようにとまって談笑する生徒たちと秋を満喫する。全身に草の実をつけて戯れるひととき。
学級担任には、学級集団を高め、個人を高める役割がある。その中の、集団についての具体的な意義のは握と実践にとりくんだのは、ここ南会津の荒海中学校にきてからの二、三年のことである。
なかでも成績第一の考え方をし、自己中心的な態度と、他の生徒をそこにまき込むいわゆる集団にはなじまないでいる一生徒もおり考えさせられた。私が彼を訪ねていったのはある雨の日のこと、私にとってはたいへんな緊張であった。
クラスの運営のために君の力がぜひ必要だと告げた時、彼は私の顔も見ず話してもくれなかった。それでも怒ってはいけないとことばを胸にたたみ込んで帰った。次の日、学級会で思いきって班での彼の役割にクラスの、ある仕事を与える。ああ拒否されなかった。第一歩。クラス全員が注目した。
美術の授業。彫塑で頭像に取り組んでいる。心棒づくりの一番遅れている彼。無言で釘と材料を置いてやる。他の生徒の制作を指導している中でさりげなく彼の例をとって賞賛してやる。すべて彼の仕事にあわせた段階での賞賛。ある放課後、彼は友人一人をつれて制作していた。自分から歩みだした第二歩。
そんなある日、頭痛がすると友人の口を借りて私の前に現われた。「こたつに寝てしまって汗かいたんです。」自分のことをはじめて私に言った、第三歩。
連日放課後制作。暗くなるまで続ける彼。広い美術室のあとかたづけと清掃を黙々とやる。奉仕をいやがらない、第四歩。
彼にはふりむいてももらえなかった私と学級だったのに。教師としての努力、信頼は、それが生徒の糧となり、教師の糧となる。受容と共感、そのことばや理論の域から実践の域へと私の心を向けさせてくれた。
彫塑の授業も進み、文化祭へむけて最後の石膏どりの仕事も完成へと近づく。二学期から再スタートした班内での問題も多くなっていよいよ編成替えの機会となった。班長候補者が定員までそろったが、沈黙の後、手が上がった。彼の名がでたのだ。おめでとう班長。「あなたがたが班長に選ばれたことの意義をじっくりかみしめてきましたか。なにげないふだんの生活の中で学級のみんなはお互いをよくみつめているのです。学級つくりの中であなたがたが信頼されまかせられたのです。先生はとってもうれしいのです。」−班長への手紙より−
「一人一人がこの班長たちを全体の中で選んだということは、この人が班長ならその班員になってやれるという気持ちが表われたということです。また、各の班長から、班でいっしょにやっていこうと呼びかけられたら、それをきちんと受けとめて班づくりを進めていかなければなりません。」−学級会で−
原則論のみで実践のない空虚さを生徒たちは見抜く。また逆も成り立つ。心のとびらを開く、真のふれあい、子供たちの成長の支え……すべての青緒的なことばを現実に置きかえて実践で問いかけてみようと思う。まず学級集団づくりの中で、そうして自分の教科指導の中で。
いま荒海中全職員で取り組んでいる「実践意欲を育てる生徒指導」は、この学校の実態からしても、青年期における人格の発達課題が自主性、主体生の伸長にあるということからしても適切であるといえるし、その中で、生徒の独自的な存在、つまりその時、その場に応じてその人なりに培われた方法で、コミュニケーションが入るようにすべきであるということを、しっかり受けとめていき、その中で集団を高めていこう。見えない指導、後ろ姿の指導とはどんなことかをさぐっていこう。
紅葉の山々に見下ろされた広い広い校庭を、生徒たちと校舎へ向かってしずかに思うのである。
(田島町立荒海中学校教諭)