教育福島0017号(1976年(S51)12月)-030page
教育随想
何かを欲している
広畑 義雄
四年二組時代のT君、屋体で学年合同の器楽練習だというのに、持っている笛を吹こうとはしない。左手にそれを持ったまま、西の方の高窓から空を眺めている。同学年一組の担任である私は気に,なって丁君に近づき、「どうして、笛を吹かないの、吹けないの。」何気なく問いただそうとしたことばではあったが、彼にとっては、いやなひびきとしか感じなかったにちがいない。質問には答えようとはせず、そしらぬ表情で黙して語らずである。
T君の担任であるK先生が語るところによると、
「T君は、いつもああなんですよ。吹かせようとすると、ふくれてしまってだめなんです。」ということである。
「ふつうの子なら、いくら吹けなくても、そのまねぐらいはするものなのに。」と私は考えるのであった。
それから何か月か過ぎ五年生になった。学級編成替えがあり、T君は私の組に入ってきた。K先生は異動で転任されて行った。
私は、例にもれず新学年の抱負や希望を話させたり、高学年としての自覚を促すことばを与えたりした。そして「ならぬことはならぬ。」と一言つけ加えて五年生のスタートを切ったのである。
T君は「きびしい先生だな。」という表情でじっと自分を注視している。早くあの子に近づき、胸きんを開かせる手だてを講じなければと考えつつ、その機会を持った。やがて、家庭訪問が始まった。四月二十日の午後、T君を車に乗せ、種々話しかけていくうちに母は交通事故で二年生の時に死亡したこと、兄は身体的事情で仙台の学校に在学していることを水を得た魚のように喜々として語りかけてくる。一対一で話す時の態度は、あの器楽練習時とはまるでちがっている。「何かを欲しているんだ。」ということがわかりかけてきた。
ふだんのT君の生活態度や、彼を取り巻く友達の様子を見ていると、「自分ばかり悪くないのに……。」「T君は、悪い人なんだ。今までだって授業中はふざけるし、消しゴムをちぎってぶっつけるし……。」
九月二十四日二校時、五の一国語科授業研究の際のことである。学習内容は(相手にふさわしいことばで、表現をくふうしてはがきを書くこと)である。校長先生をはじめ、全職員が教室後方で授業の流れを見ている。
「T君、K先生になにを一番知らせたいの、発表してくれないかなあ。」
「先生が合奏にでる人を決めるとき、ぼくはだめだと思っていたら『T君』と言ったので、ぼくはびっくりした。うそではないかと思ったが、やぱりほんとうだったのでうれしかった。」
「わかる、わかる。K先生、どんなにか喜ぶことでしょう。T君の気持ちはちゃんと伝わるよ。」(全員拍手)
少々、オーバーなほめことばを与えてやった。そして、態度でほめようとも意識していた。
十月二十七日の朝、丁君と対話する。
「このごろ勉強の方も、そのほかもうんとよくなったね。」
「うん。」
「どうしてそんなに変わったのかな。」
「ふざけたりしないで、ちゃんとやればほめられるもの。」(認められる)
「これからもがんばろうね。」「うん。」
満足げに教室へもどる丁君の後を追って私も教室へ入った。
われわれ教師は、確かに多忙である。その中で、教材の消化に努めようとするあまり、知識の伝授に走りがちのようである。覚えの悪い子には、過剰意識が働くこともしばしばである。それも、教師として当然たいせつな一面ではあるが、子供の心や情意にまで配慮しないとスムーズな教育の進展はみられない。
今は亡き校長さんのことばを思いだす。「琴線に触れる教育でなければいけない。」ということを。
(楢葉町立楢葉北小学校教諭)