教育福島0017号(1976年(S51)12月)-031page
教育随想
野球をとおして
磯上 千尋
昭和四十八年に本校の野球部顧問になったとき、選手たちとミーテングをもち、部訓を作りました。
第一には、おのれを律して闘えば、みずから開ける。第二には、投げぬき攻めて守りぬき、すべてをかけて打ち砕く。第三には、走れ走らせ根気よく走らぬ野球に勝利なし。
以上の三つの部訓をじゅうぶんわきま、えて毎日の練習の糧にしました。そして次のことも選手と約束をしました。
「野球をとおして、厳しさ苦しさを体験し、ルールをよく知り実戦に生かす努力を惜しまない。そのためには、日常の生活をたいせつにし、誰からも愛される人間になろう。」このことは現在でも続いているし、メンバーが変わっても引き継がれていることを確信しています。
選手の中には、体位や体力の面で差異があるが、練習の密度は全く同じなので、つらいこともあるだろう。しかし、チームの『和』をたいせつにし、部訓を自分のものとしている姿があるからこそ、耐えぬく勇気が存在していると思います。部創立十二年目にして、過日行われた第十七回平市営球場完成記念地区高校野球大会で優勝することができました。選手一人一人が積み重ねてきた練習の成果を球場という大きな舞台で演技し、失敗の許されない場面で、真剣にボールに向かっていく根生の一つの結果であると思いました。最近は特に考える野球を身につけさせることがたいせつだと言われています。
「継続は力なり」という言葉がありますが、この言葉は、私の二十三年間の運動部顧問としての信条としています。本校の野球部ては、この言葉を実践の場に生かしています。それは、毎日の練習の終わりに校歌・応援歌を斉唱すること、五分間の静座をすること、この二つは、四年間続けてきました。これからも続けていくし選手も立派に実践していくものと確信しています。私は放課後になるとグラウンドにでて、技術・マナー・気力・学習の四領域について、個別的に毎日選手と話し合うことにしています。このことは授業における個別指導と同じように、生徒の疑問や悩みを聞き、ともに考えともに進む方向を話し合い、自分の進むべき道を求めさせることです。特に合宿中は親と子の関係のような立場を原則として、厳しく楽しい生活のリズムを作り、グラウンドにおいては、仕事の一面としてとら、えさせ、情熱をもってボールに向かいそれぞれの部門をたしかめ実践し一日の反省の上に立った自己評価を発表し、明日への準備にすることを合宿の核としています。人間は、長所と短所の両面をもっているが、長所をお互いに見つけあって、このことを最大限に伸ばすよう努力すれば、短所は少しずつ長所へ吸収されていくように、打つことにすぐれている選手がおれば、なぜ打てるようになったかを考えさせれば、自己の長所の一面をとらえることができ、短所を少しずつ長所へと向け前進できるものと思います。そのために、教師と生徒という宿命的な関係の中で激しくぶつかり合うこともあるでしょうし、なぐさめ合うこともあるのではないかと思います。三年間という人間関係の中で、教え教えられる立場から、いかにしてセルフコントロールができ、お互いが信じあえる「真実」を求めるための求心力を、一つにする機会が得られるか、それがなしえられたとき、それこそ私自身にとってもよき経験となり、言葉で言い尽くし得ない心温まるものが、体の中にみなぎるものを覚えます。スポーツこそが、前進への道につながり、未来への自己開発の原動力となると思います。
最近の生徒は汗を流すことをいやがる傾向があるが、運動部の生徒は練習に熱が入るほど汗を多量に出し練習後すがすがしい気持ちになれると言っています。この汗の中には、様々な喜怒哀楽があり、その終末効果には、人生の中での印象強く心に残る一ぺージを作りだす源泉となるものがあるだろうと考えます。一人の汗の結晶は、みのりの結晶となるように、優勝という二文字の描く人生模様は、いろいろなプロセスを経て回折したり、干渉したりしながらある点に実像を結ぶものと思います。
野球学というのを物理学の面からとらえ自然の美をじゅうぶんとらえて、白球と緑とのコントラストは、体験しているものだけが言える調和を求める人間の姿だろうといつでも考えています。
(福島県立好間高等学校教諭)