教育福島0017号(1976年(S51)12月)-040page

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図書館コーナー

 

福島県における自由民権運動と図書館

 

日常の官令、公布、新聞及び各種の書籍を講究して内外各国の事情を詳かにすべし。

(三春町・三師社規則第五条)

フランス革命の活動家たちがパリのカフェを根城としたように、本邦明治期の自由民権運動家群は,それぞれ政社と呼称される拠点を持っていました。そして政府を糾弾して自由民権を確立するための理論的バック・ボーンを培うために、内外の書籍を購入し政社内に図書館を設置していたのです。

東北初の政治結社として明治八年に石川町に創設された石陽社の塾である石陽館の仮規則には、「科外員ハ定則二関セズ随意ノ書籍ヲ自読二或ハ定則内ノ某科ヲ研定スルモノトス」とありまた喜多方の愛身社の設立趣意は「時事を論じ、新知識を講究するため、政治・法律に関する図書を講入して学習しようとするものであった」といいます。つまり、蔵書の充実を図り、その蔵書を利用して自主学習に励むことが政社の日常の活動において重要なこととされていたのです。

自由民権運動と図書館の歴史との関連は、既に色”大吉氏や石井敦氏によって幾つかの論考が発表されており、この事柄を考察することは、現代社会において問題となっている住民運動や社会教育と図書館との相互協力の有り様を模索する上で大いに参考となると思われますが、ここでは高橋哲夫氏の諸著作に依りながら、図書館史上今まで全く看過されている、三春町の自由民権運動の中から生まれた書籍館(しょじゃくかん)の概要を紹介するにとどめておきます。

三春町の正道館は、明治初期の福島県における唯一の公費による全寮制の政治教育の学塾でした。明治十四年に河野広中や松本茂の奔走によって開設されたもので、自由民権運動の青年活動家の養成を企図していました。

はるばる高知から招へいした二名の講師による講義とともに、書籍の購入に多額を費して多数の蔵書を有し、正道館備え付けの書籍貸出簿によれボ塾生に有効に活用されていたといいます。

館生の募集広告には「研究科程ノ書籍ハ無料ニテ貸附シ、科程外ノ書籍ハ別二本館規則二依テ貸附ス」とうたわれ、寄宿舎規則にも「借覧時間ニ至ルトキハ直二借覧所に出席シテ遅緩スベカラズ」とあり、閲覧室・閲覧時間が定められていたことが推測されます。

本は東京の丸屋善七書店(丸善)や福島の近江屋などから購入され、テキストとして使用されたものは、五部から十五部程複本が用意されていました。

鬼県令とひぼうされた三島通庸の弾圧により、明治十五年に正道館ま閉鎖のやむなきに至りますが、新たに公立の書籍館(図書館)となって再生します。正道館の整理委員たちは、質・量ともに当時としては貴重なコレクションであった同館の蔵書を活用するために同館をそのまま書籍館とし「尚広ク内外ノ図書ヲ蒐集シテ衆民ノ閲覧ニ供シ、文化ノ増進ヲ助ケントス」という趣意に基づく詳細な「書籍館規則」を定めました。

それによりますと、現在の司書に当たる幹事という専任職員を配し、寄宿借覧人と称する寄宿生が利用対象の中心だったようです。

「衆民ノ閲覧ニ供シ……」と規則にあるように、実際に地域の住民に門戸を開放してどれほど利用されたのか、いつごろまで存続したのかは不明ですがいずれにしても、今から九十年も前に公費による図書館が三春にあったという事実は、どう目すべきことと思われます。

ところで、福島県の図書館史の研究は間山洋八氏の「青森県図書館運動史」に比肩すべきような通史としてまとまったものは、今のところ全くありません。郡山市や福島市などで、住民による図書館改革・設立運動がまき起こっている現在、過去の図書館運動の歴史の考究のなかから、未来のあるべき図書館の姿をさぐるような地道な努力が我々図書館員にとっても必要であることを痛感させられます。

 

「福島自由新聞」編集顧問 植木枝盛

「福島自由新聞」編集顧問 植木枝盛

会津民権運動の最高指導者 宅田成一

会津民権運動の最高指導者 宅田成一

 

 

 


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