教育福島0018号(1977年(S52)01月)-022page

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教育随想

 

日記を対話に

 

斎藤 文子

 

斎藤 文子

 

不安と新しい希望を胸にいだきながら臼石小学校の校門をくぐってから、早くも三年目の冬を迎えようとしている。この二年半を振り返ってみると、ただ悔いばかりが心に残る。暗中模索しながらの二年半であった。

各方面で、「一人一人の児童を生かす。」ということをよく耳にするが、このことは口で言うほど簡単なことではないことを実践の中で感じている。我がクラスのような男七名、女七名の少人数学級においても、本当に一人一人の児童を生かしていくことは難しい。これは、私の指導の未熟さによるのでもあるが。

望ましい学級集団を作るためには、児童一人一人の考え方や生活環境、人間関係などをじゅうぶん知っていなければならない。そこで、学級作りのため日記を取り入れることにした。毎日いっしょに生活していても、面と向かって話しにくいこともあるだろう。このような時、日記のかたちをとれば、わだかまりなく自分の意志や考えを伝えてくれるのではないか。また、私の知り得ない家庭生活についても、おのずとわかってくるのではないかと思った。

日記は毎朝提出させ、帰りの会までに私の言葉を書き加えて返すようにしている。しかし、軌道に乗るまでは、たった十四冊のノートを読み、私の言葉を二・三行書くこともなかなかたいへんであった。読む時間がないのである。休み時間には、児童とともに校庭をかけ回りたいし、そこで給食後のほんの短い時間を利用して読むことにした。が時として帰りの会にあわてて読むことも、またサインだけになってしまったこともあった。

日記を書かせるようになってから、私自身いろいろと反省させられることがでてきた。これまでは、児童を一応理解しているつもりだったのに、それは単に表面的なことであって、真に理解してはいなかったのである。

つい先日、こんなことがあった。委員会活動が終わり、六年生を交えて雑談していたらたいへんな問題が起きていることがわかった。六年生の女子の間にトラブルがあり、その仲間割れに五年生も巻き込まれていた。そしてAさんを困らせるために、五年生のY君とH君が電話での話を録音にとり、仲間を増やしたいということであった。やり方が悪質なことに驚き、その場で反省を促した。その日のH君の日記より。「きょう、とってもおもしろくなかった。中略。Bさんたちは、Aさんを守る会だと言ったけれども、Aさんを守る会でぼくたちの悪口を言っている方が問題だと思う。中略。斎藤先生は、女の人のけんかに五年生の男がまざってバカだと言ったけれども、ぼくの悪口だって言っているんだ。中略。ぼくたちの組の方だけ悪い方にしているけど、AさんとBさんがぐるになってぼくたちの悪口さえしなかったら、こんな会をしなくてすんだのに、どうして先生はむこうの方だけ良い方にまわすのかと思った。そういうことこそ、えこひいきだと思う。それを言おうとした時先生と六年生が、ぼくたちのことを言っていてぼくの話を聞こうともしなかったので、とてもくやしかった。Aさんは、『ぼくたちが転校なんかしてこなきゃ良かった。』と言っているけど、ぼくたちだってきたくてきたんじゃなかった。こんなにくやしい日は、今まで一度もなかった。臼石になんかこなきゃ良かったと思った。」

(原文のまま)

H君には六年生の姉がおり、三年生の時臼石小に転校してきた児童である。だから、Aさんに言われた言葉がショックだったのであろう。また、その気持ちを聞いてくれない私に対して、どんなにか腹立たしかったにちがいない。彼の心に気づかないこの自分が、つくづく情けなく思った。彼の日記によって救われた。次の日、「話を聞いてやらなくて悪かったね。」と声をかけたら彼も少しは納得してくれ、私の心のつかえがおりた。

単に情報をキャッチするだけの日記でなく、自分の気持ちを素直に語れる日記になるようにと願っている。この日記をとおして、なんでも語り合える学級になるようにと、胸をはずませながら日記を読んでいる。

(飯舘村立臼石小学校教諭)

 

 

 


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