教育福島0020号(1977年(S52)04月)-008page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

2、生徒指導のあり方

生徒指導は、一人一人の児童生徒のよりよい人格の発達をめざすとともに学校生活が個人としても、集団としても楽しいもの、意義あるもので、しかも充実したものにすることをねらいとしている。したがって、教育活動のあらゆる分野において、教育的価値追求のための基盤や条件を整え、適切な指導を行うことに努めなければならない。こうしてはじめて、学校生活から脱落する児童生徒をなくし、すべての児童生徒が充実した学校生活をおくり、ひいては非行にはしることを防止する結果となるであろう。

このような考えから、今後の生徒指導において特に配慮したい点として、

(1) 生徒指導が日常生活のしつけのみの指導に終わらず、すべての領域において、一人一人の理解に基づく自己実現への指導を展開すること。

(2) 全職員の共通理解に基づき、職員間のち密な連携による指導体制を作ること。

(3) 学業上または生活上の不適応に対する原因を究明し、継続的治療指導が行われること。

(4) 家庭や関係機関との連携を図り、地域ぐるみの指導体制をとること。

(5) 事故防止のために万全の対策をたて、また、事故発生時についても適切な措置が遺漏なく講じられていること。

等があげられる。

 

3、児童生徒の理解と指導

児童生徒の理解と指導の重要性については、毎年本誌において記述し御協力を願っているので、今回は日常の学級生活を中心として事例的内容をもとに問題となることを述べてみたい。

(1) 児童生徒の理解

ア、一面的理解から多面的理解へ

〇四月に新しい学級を受け持った担任は、学級の子供の理解に全力を注ごうとする。ある子供の行動を観察し「この子はこういう行動をとる。」とメモする場面がよく見られる。だが、この事実をもって「この子はこういう子だ。」と断言することはいましめたい。

子供は、そのときの状態、場面によっていろいろな行動を示すものであり、そこで見られた行動はあくまで[こういう面もある」。という一面を表しているのである。えてして第一印象をもってその子の性格、行動を「こうだ。」と規定してしまうことがあるが、そのことが本人をして学校生活を拒否してしまう原因となることも考えておかねばならない。

○校庭で楽しく遊んでいる級友たちを横目で見ながら一人ぽつんとしている子がいたとする。担任教師は、この子の集団適応を図るべく指導を行うが、その子がなぜ一人でいるようになったか、その原因を交友関係や性格に求めることが多い。しかし、このような子供の場合、まず身体面に異常がないかも調査してみる必要がある。軽度の言語障害や難聴、身体的欠陥等何らかの障害をもつ場合、対人関係においてもその障害が交友上の支障となることがあるため、自分から集団の中に入ることをさしひかえることがある。

集団に入れないのではなく、入っていかないように自らを律しているのである。これが何事にもひかえ目な性格の形成に発展することがある。つまり身体的な障害という第一次の問題が、心的な第二次の問題を生むということである。

このようなこともあるので、日常の生活行動に異常があると思われる場合は養護教諭との連絡をとり、身体面の異常の有無を確かめることもたいせつである。このようにみてくると、身体上の問題は、単に「要治療」として家庭に通知するだけにとどまらず、本人の人格形成にまで及ぶ問題として重視しなければならない。

イ、検査、調査、観察等により総合的理解へ

○ここに知能検査(集団式)知能指数七十五の子がいたとする。知能発達からみれば、この子は正常児と比べて若干の発達遅滞があるかも知れない。しかしこの子は検査に当たって、動作や反応の遅い子であったとしたら、時間を限定して行う集団式検査においては持てる能力をじゅうぶん発揮せずに終わったかも知れない。また、やり方がはっきりしないでわからなかったのかも知れない。

こうしたことから、これらの子については、個別式または、以前に実施した以外の知能検査を実施し、その程度を明らかにすることが重要である。

個別知能検査の結果、知能指数七十台以下である場合、知能発達に若干の遅滞が考えられよう。しかし、だからといって、知的能力以外の能力についても劣るとはいえないのである。他の能力等については、他の子と同等あるいはそれ以上の場合もあるので、観察とともに必要に応じて他の検査、調査を実施するなどして、その子の的確な理解に努めることが肝要である。

〇学級担任には、自分の見た目、考えを正しいものとして固執することがある。学級の子に対する責任感から他の教師よりも子供をよく見ているからそのように思うこともたいせつではあるが、子供の行動はいろいろな面をもっており、すべてを担任が見ているとは限らない。こうしたことから、他の教師の観察結果を是非とり入れ、自分の固定観念を除去したいものである。

諸検査、調査についても同様のことがいえよう。一つの検査から得られた情報は、子供の一面を表したものであり、それがすべてではない。Aの検査で得られた事柄、Bの調査で得られた情報をもとにして、児童生徒を多面的に理解していくことがたいせつである。

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。