教育福島0020号(1977年(S52)04月)-027page
を買うとき、お店の人がこれはだれのお金かとか、どこから持ってきたとか、その一声が欲しいと思うんですが、その一声がないままに売ってしまう。そういう大人側にも問題があるんじゃないかと思います。ですから私たちは地域・社会のみんなが早期発見をするには、まず自分たちのことも整理してかかるということ。またおかしかったらやはり先からお話が出ているように声をかけてやって、おかしい時にはどこの子でもしかってやるというけじめをつけてやることが必要だと思います。
司会
健全育成のために早期発見が大事だということで、そのための協力体制を作ることがたいせつだという御意見でございます。最後にもう一人御意見を伺います。はい、遠藤さん。
遠藤
お話にも出てはおりますけれども街の中でよく生徒が悪いことをするんですね。そういう時にすぐに学校に電話などしてくるわけですが、学校でもそういう時は、ありがたくお受けしてそのような協力を生かしていくわけですけれども、何といっても現場で御指導いただくことが一番でございます。一声運動がほんとうに何というか、単なるスローガンでなくしていきたいと思います。それからデパートなどにおける万引きなどでありますが、これはぜひ学校に細かく知らせてほしいということです。私どもが行って根ほりはほり聞きますと、向こうは相当詳しくデーターを持っている訳ですが、発言致しませんとほとんど学校にはこない。
それはむこうの親切心というものかも知れませんが、これは細かに教えていただいた方がありがたい。それからまあ大人の社会ではたばこを吸えば吸いがらをポンとどこへでも捨てますし紙くずも同様に捨てる。それでは街の中に吸いがら入れや紙くず入れが整備されていなかというと必ずしもなされていない。私どもは生徒に地域の清掃や奉仕活動なんかをすすめたりしていますけれども、どうも大人の人がそのままで、生徒にだけ奉仕活動をしてみろと言っても、うまくいかないという矛盾を感ずることがあるので、この点はやはり大人も行政機関も関係があると思うのでよろしく御一考をわずらわしたい。
司会
それでは行政に望むものとして最後の四に移りたいと思うのですが、その前に、以上一、二、三と経過してきました御意見の中で、こういう点で特に配慮が必要ではないかということで、専門的な立場から工藤先生なにかございましたら短い時間ではございますがお願いします。
熱心にメモをとる記者席
工藤
もう大体皆さんの言葉で言いつくされたわけでございますが、今回の事件でございますと、やはりああいうふうに変った形ででてきますと、子供の中にも問題はありますけれども、今後やはり検討していかなければなりませんが、 一面ではピラミッドの頂点という側面を含みながら、やはりある特有なものに変わるということもございますので、 一般化して考えてみることも必要です。しかし、これをきっかけとして私どもが大きなショックをうけるということは、現在のすべての情勢の中に多くの問題点を含んでいるということで、考えなければならないことは、非行の問題がでますと、やはり対策としてどうするかという対策の面が優先しまして、同時に現在子供を取りまいている非社会的なさまざまの問題、子供の神経症の問題とか、最近はまた女の子でスタイルをよくするために、食べることを拒否してしまう、やせ症の問題、私の経験する範囲ではひところよりガラガラになってしまう例が多くなっているように思いますので、これらの問題と非行の問題とを合わせて考えていかないといけないんじゃないか。その時に梅津さんがいわれた、どうも与えることが多すぎて選ぶことをさけてるんじゃないかということ、私も同感なんですが、一面そういうことを置きながらさて対策をどうするかとなると、どうも私どもの方で何もしてやれないんじゃないか。いくつかチャンスはつくっておき、主体的に選ばせるということを、私どもはじっくりと考えてみなければならないと思います。最初よくいわれるある能率性が考えられているが、一面では子供に非常に多くの反応をすることを求め、子供は応接にいとまがないくらいで、自分とは何だろうかとほんとうに静かに考えるチャンスを与えなければならない。反応させることだけに汲々として一番大事なものを与えないでいるのではないかという気がしてならないのです。大人の世界では価値の多様化時代といわれながら、子供の社会におりますと、価値がある意味では最も画一化しているということもあり、だからといって突き放しておけとかいうことではありませんがむしろ逆でございますけれども、本当に子供を周辺から刺激を与え、自分というものは何だろうかということを、