教育福島0020号(1977年(S52)04月)-031page

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教育随想

物理実験指導に当たって

 

菅野五郎

 

菅野五郎

 

従来実験の指導に当たって私は、その実験に必要な材料器具は全部そろえ、各グループに与えて実施して来ました。しかし生徒は果たしてどの程度の目的意識を持って実験を行っているのだろうか、という懸念が、実験を行う度に大きくなりました。遂に昨年「バネ振り子の性質を調べ周期Tは、◆で示されることを確かめなさい。方法については前の時間に、くわしく説明してあるはずですね。必要な器具は、この実験室のものを適当に用いてよろしい。さあ実験を始めなさい。」いままでは全部そろっていて実験するだけだったのに…と生徒たちは一瞬戸惑い、しばらく何をやってよいのか見当もつかない様子です。やがてどうにか実験らしいことが開始されたのはすでに二、三十分経過してからのことだったと思います。しかし二、三十分もの時間を要したにしては、いや五分で準備したとしても、その装置はいずれもまことに幼稚で、これが高校生の考えたものなんだろうか、とあぜんとしました。よりよい方法で、より確かな値を得ようとする思考行動は、片りんさえ認められませんでした。小学校、中学校をとおして行って来た理科の実験は既成のセットが多いことや、教師の準備が私のように至れり尽せりであることが、生徒のくふうの道を閉ざし、必然的にアチーブメントテスト的思考しか必要としない状態を作ってしまったためか、実験器具を必要なものだけ、あるいは既成のセットを生徒に与えることは、確かに時間のゆとりも出来、結果もスマートで精度がよく、省力の面からも利点はあるが、実験とは果たしてそれでよいものだろうか。

近年生徒が、すべてにおいて結果だけを求め、論じ、評価してその過程を軽視する傾向が強くなってゆくのは、このあたりにもその原因の一端があるのではないだろうか。

ある日知人が「うちの子供(五歳)に積木を買ってやったが説明書(完成図)を持って来て、作ってくれとせがんで決して自分で作ろうとはしない。あんまりうるさいので説明書を捨ててしまった。ところがそれ以来、親からみると全く形になっていないがけっこう自分なりの形をつくり一人で遊んでいる。おもちゃも大人ペースで作られると子供の思考なんか入るすき間もないんではないか。」とこぼしていました。

 

実験室で生徒とともに

 

実験室で生徒とともに

 

現代の子供たちは極言すれば、子供としての、子供の段階での思考行動のほとんどは、大人のアイディアによってつぶされてしまっているのではないだろうか。思考行動が次のより高度な思考行動を生む過程を体得する機会を彼等は失っているように思われます。私たちは子供のころ、本やラジオによって自分なりの環境や経験に立った情景を描いたものであったが、マンガやテレビは、どの子供にも一律に一つの情景しか与えてくれません。これでは情操の面では枯渇し、依存心も強まり、保護がなければ生活出来ない子供が増加するのではないだろうか。高校入試の願書をみても、受験に来る様子を見ても、全く先生まかせの学校が年々増加してゆくのと同じように。

満ち足りた生活は子供の心をスポイルし、欠乏の生活は子供としてくふうさせ努力させ、奮い立たせるのではないだろうか。

(福島県立保原高等学校教諭)

 

 

 


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