教育福島0020号(1977年(S52)04月)-033page
教育随想
歳月とともに
佐藤政
私が初めて教職についた時のことである。初めての出張で、ある中学校を訪問し、校庭を歩いていると、男子生徒たちが校庭で遊んでいるのに出合った。「よう、ねえちゃんこ。と声をかけられ、びっくりするとともに恥ずかしかった。その他にもいろいろ言ったようだったが全く覚えていない。その学校の校長先生は、私が中学生の時の恩師でしたので、校長室にたずねると私を覚えていてくださった。高ぶった心をおさえながら今のできごとを話すと、「そのかっこうでは、先生に見えないね。この学校では、女の先生は、家庭科と養護担当の二人しかいないのでめずらしかったのだろう。」とおっしゃって笑われた。姿だけでなく、心の中も「先生」には、なりきっていなかった自分を恥ずかしく思った。
数年たって、小学校一、二年生の時の教え子が、中学校の卒業の日に、「先生、お世話になりました。無事、中学校を卒業することができました。」と言って、全員で我が家をたずねてくれた。その礼儀正しさと、大人っぽい言葉づかいに感激した。背も見上げる程大きくなっていた。
「ぼくは、○○高校を受けます。」「わたしは、××高校です」。「ぼくは、就職が決まりました」。…と、どの顔も希望に満ちていた。初めは、固くなり、かしこまっていた生徒たちも、話がはずむにしたがって、数年前のあの頃にもどっていた。
“人の話を横どりして、一人でしゃべりたがる子”“話しかけても、なかなかしゃべれない子”“ひょうきんでいつもみんなを笑わせる子”等々。
中でも、一番びっくりしたのはM君であった。その当時、何かというとすぐ教室のうしろで、大の字になってあばれ、どうしても、言うことを聞いてくれずに、教師なりたての私をとまどわせた。それが一度や二度ではなかった。教師になりたての私には、どうしてよいかわからず困ってしまい、その当時夢の中でまで、私を悩まし続けた子が立派に成長し、「ぼくは、福島で、床屋に入ることになりました。」と目をかがやかせていたことである。
このM君は、今でも、毎年、忘れずに年賀状をくれる。今年で二十三歳の若者である。今は、年賀状だけの交際であるが、いつまで続くか楽しみでもある。そして、年賀状を見るたびに、教室の後ろで、ひっくり返っている姿を思い出す。M君も、あの姿を思い出しつつ年賀状を書いているのかなと想像しながら教師としての喜びを感じている。
「ねえちゃん。」と呼ばれた、十数年前にくらべ、先生と呼ばれることの多い今日この頃、私もはや三十六歳。歳月とともにすっかり「先生」が板についてきたと自負している。
しかし、自分では、まだまだ若いつもりでいるのに、教え子たちの成長ぶりに接するたびに子供たちにとり残されていくような一まつのさびしさを感じるとともに、自分の力量不足を心の中でわびるこのごろでもある。
今年もまた、四月がやってきた。担任も変わり、新しい子供たちと対面した。一喜一憂の日々が始まった。まわり出したこの歯車は、一年間止まることが出来ないのである。毎年のことではあるが、今年こそは」と、心を新たにし新学期を迎え、若い気持ちで、今日も子供たちの前に立っている。
(平田村立小平小学校教諭)
53全国高校総体
(総合ポスター図案 ファンファーレ曲)募集
本県を主会場に、三万五千人の選手役員を迎える高校生のスポーツの祭典にふさわしいものとします。
○総合ポスター図案
○応募資格 県内の高等学校生徒
○作品規格 画用紙B3版、縦がき、ポスターカラー、又は水彩えのぐ(色数は自由)
○ファンファーレ曲
○応募資格 県内の高校生、教職員
○作品基準 吹奏時間30秒以内管楽器使用のもの
○締切期日 昭52・7・20(当日消印可)
○応募方法 作品は学校毎に提出なお、詳しくは大会実行委員会事務局TEL〇二四五 三三-七一二一
におたずね下さい。