教育福島0021号(1977年(S52)06月)-016page

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私たち教師にとって、生きがいのある努力の道である。県内の国語の教室につくられている、いくつかの努力の中から、二つの実践例を紹介する。

 

一、文学教材(古典)における比較学習

福島県立福島高等学校 根本正紀

〈比較学習のねらい〉

古典を学習する目標は、その作品に内在する主題と、その作品の持っている時代的歴史的意味を理解することであろう。その場合、その作品と主題を共通にする作品とを比較させることによって、生徒の理解を容易にすることができるであろう。

例えば、日本の古典と中国の古典との比較は、中国の古典の普遍性がある時代の日本という民族的歴史的制約によっていかなる変容をとげ、わが国の古典に定着されたかという受容のしかた、つまり、わが国の民族的特性に比重を置いた指導を可能にするだろうしまた、その逆の指導も考えられる。更にまた、わが国の古典作品相互の比較古典作品と現代文学作品との比較の場合も、異なる時代背景のもとで個々の作者という異なる個性に支えられた作品間の相互関連性を追求することで、主題をより普遍的なものとして定着させることが可能である。

〈指導事例その一〉

「春望」(社甫)と「万葉集・巻一雑歌29・30・31」と「奥の細道・平泉のくだり」(芭蕉)と「千曲川旅情の歌」(島崎藤村)の詩境は滅びたもの、なくなったものへの詩人の深い悲しみの情感である。指導過程を図示すれば、左のようになる。

〈指導事例その二〉

「伊勢物語・四段」と陶淵明の「飲酒其五」における指導過程

 

〈指導事例その三〉

 

〈指導事例その三〉

「伊勢物語・九段」を貴種流離譚の形態をふまえた指導過程

 

〈指導事例その四〉

 

〈指導事例その四〉

対句表現をとおして、中国人の思想形態をとらえる指導過程

 

と「代悲白頭翁」(劉希夷)、平安文学と白居易の詩など、枚挙にいとまがない。

 

以下、比較学習に供することのできるものを列挙する。「飲酒其五」と「暗夜行路19章」(志賀直哉)、「病雁夜寒〜」(芭蕉)と「孤雁」(杜甫)と「枯野抄」(芥川龍之介)、「甃の上」(三好達治)と「代悲白頭翁」(劉希夷)、平安文学と白居易の詩など、枚挙にいとまがない。

比較学習は、ともすれば、批評、鑑賞の段階で行われがちだが、読解作業の中で、個々のイメージを鮮明にし、主題のは握を確認するために用いられてよい方法である。ただ興にまかせて専門に走ることは自戒しなければならない。そのためにも使用教材はなるべく教科書に採録されているものか、その周辺部にあるものから求めるのが妥当であろう。なお、教材のセット化の方法にしても、同時に二教材を提示する方法とか、一教材を先に学習し、発展的にもう一つの教材を読ませるとかは、生徒の実態と教材の内容からじゅうぶん考慮される必要があろう。

 

二、文学教材指導における言語のイメージ化

福島県立安積高等学校

渋谷芳明

ここに述べるのは、ゆたかな人間性を育てるために、生き生きとした「追体験」をさせることを読むねらいとした実践である。そのため、次の事項に留意して指導を進めた。

(1) 文中の「ことば」を、辞書などの一般的意味と比較させ、作者固有の感情を伴った価値判断に留意させる。

(2) 具体的な「もの」の表現については、「ことば」が五感の刺激体になるようにする。

(3) 抽象的な「もの」、つまり登場人物等の感情、心理などは、それを作るもとになっている「もの」あるいは「もの」と「もの」とのからみあいから解きほぐす。

(4) 題名からはじめて、一文ずつていねいに読み進める。

(5) 発問形式をとりながら、生徒の反応を確かめ、「ことば」が刺激体になっていないときは、ヒントの形で、具体的な発問に砕く。

(6) 生徒相互の話し合いを交じえ、想像力を刺激し、感じたことを表象化

 

 

 


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