教育福島0021号(1977年(S52)06月)-026page

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教育随想

 

大人の教育

 

川又恒一

 

教育の理解以上に持つことは不可能な身の歯がゆさでの発言をお許し願いたい。

 

教育の専門家でもなく、教育の現場も知らぬ教育委員の私なので、具体的な子供とのふれあいなどなく、頭の中で考え、現場を見ることによる教育の理解以上に持つことは不可能な身の歯がゆさでの発言をお許し願いたい。

子供を教育する時に、子供たちの底に潜む人間の善意に対する希望を持たねば、教育などできるものであるまい。人間が人間らしくなり得るのだという資質は、誰もが持っているのだとの考えがなければ、いったい教育なんていう能率の悪い仕事に心を込めて、一生がいの仕事とする者もおるまい。教育の目標はけっきょく世界の福祉につながるものだが、日本人の中にわりあい少ない「他人のために」との基本的思考が、どれだけ本来の意味でとらえられているだろうかが、教育の価値判断のために必要なことと考えられる。

学校教育の場合は、それぞれの専門の教育技術者が、社会人となるための基礎教育をしてくれるのであるが、社会人となるともはや教育は終わりの考え、あるいはより悪いことには教育されなくとも良いといった、いわゆる大人の思い上った考えが出て来るものであり、この考えの社会人をどのように誘導できるかが、たいへんに手数のかかる仕事である。他の人々と社会のことについて柔らかい頭で話し合える人は心配はいらないが、時折り、硬直した考えの自分だけのからより、一歩も踏み出せない人を見受けるのは悲しいことである。

先日選挙違反で取り調べを受けた人と話した中で、その人は選挙違反を全然意に介せず、大人の社会では当然の事として、相も変わらず自分の票田の話のみをし、利権の話しのみであるのに、それ以外の社会を知らぬ哀れみを、何か悪あがきを見る思いで見つめていたのだった。どうして謙虚に物事を考えることができないのだろう。どうして人間の社会を見つめ直そうとしないのだろうと思いながら、もはやしゃべる気力も失い、これが大なり小なり大人の考えであり、特に中高年齢の男の中にこの種の人は多くいることを考えていた。

生活でいっぱいなんだ。社会教育なんか考える余裕なんかあるものかと、酒を飲んで自分ではなんでも知っていると思い込んでいる人がどうも多いようだ。案外こんな人たちは、マスコミ製の与論に振り廻されているかたがたであり、マスコミ道徳に判断を任せて気もつかぬ人であると思う。私はみんなでほんとうの価値判断を身につけるために、社会の流れの中での社会教育の無限性を考えて行きたいものだと考える。

社会教育の場も多くの種類があり、学校の教育とは違った次元に立つべきものと思う。学校の先生の行う社会教育は、どうしても学校教育の延長であり、先生がたには気付かないちまたの考え方、それが良くも悪くも現実の姿には違いない考え方に、どうしたら対処できるだろうか。やはり相互学習という姿で接するほかあるまいと思う。

公教育という学校教育の中で、いかにして規制された中での人間の自由、この約束社会の中での社会の進歩に役立つ自主性、個人それぞれの中味の成長の中での、規制への反発自由ではなく人間尊重の協力による人間の成長はどうあるべきかとの考慮を、学校教育のうちからなされてはいるものの、社会人への発展が切れているようで、はなはだ心細いものがある。

婦人の社会教育はいつまでたっても受身であるとはいえ、なんとかできている。老人のそれは、敬老会臭があるとしてもわりあいらくにどの町でも成功しているが、一番たいせつな中年男子はどうだろうか。さじを投げるほかないのだろうか。

(三春町教育委員会教育委員長)

 

教員資格認定試験のお知らせ

○願書受付 七月十一日〜二十三日

○認定試験の種類

1)小学校教員資格認定試験

合格者には小学校教諭二級普通免許状の申請資格が得られます。

2)特殊教育教員資格認定試験

合格者には養護訓練(聴覚障害教育、肢(し)体不自由教育)の免許状申請資格が得られます。

3)高等学校教員資格認定試験

合格者には高等学校教諭普通免許状(看護、柔道、建築、インテリア、デザイン)の免許状の申請資格が得られます。

○詳細は次に問い合わせて下さい。

○文部省大学局教職員養成課

東京都千代田区霞ケ関三-二-二

○福島県教育庁義務教育課

福島市杉妻町二-十六

TEL(〇二四五)二一-一一一一

(内線 三九四三)

 

 

 


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