教育福島0021号(1977年(S52)06月)-027page
教育随想
子供とのふれあい
大竹磯夫
四月四日、子供たちは進級の喜びと希望で胸をふくらませながら登校してきている。
「先生、先生」と呼ぶ子供たちの声 声。「三年一組の大竹先生は女の先生、男の先生、どっち、どちらなの、教えて。」と、にぎやかな明るい声にまじって聞こえてくる。
新学期はどこにでも見られる光景だが、私にとっては、今年の四月転勤した学校、この子供たちと始めての出会いである。子供たちはどれほど新しい先生を待っていたか想像できる。
そんなとき、私たち教師は決意をあらたにし「よし、あの子供たちのためにしっかりやらなければ。」と考える。また、この子供たちの喜びと期待を裏切らないよう、ありったけの力を振りしぼり、時間と力のある限り誠心誠意努力しようと思う心は、私だけではないと思う。
四月六日 出会いの三日目、私は「みんな、体育やりたいか。」というが早いか、いっせいに手をたたいて喜んだ。気のはやい子は立って歩き始める。肩をたたきあって喜ぶ子、握手しながらとびあがってはしゃぐ子、今までの緊張していた一人一人の顔は、いっぺんに消えてしまった。
「ようし、じゃ、並んで鉄棒の所に集まれ。」といい、私も急いで体育の服装に着替え、鉄棒の所に走った。「みんなね、今まで勉強した鉄棒をやってごらん。」といって順々にさせてみた。「ようし、今度は先生の番だ。」といって小学校にある教材の運動をかたっぱしからやってみせた。「これはおまけ。」といって、ももかけあがり、ともえ、けあがりもやってみせた。子供たちはため息の連続、「すごいなあ。」といいながら、あぜんとしている。「みんなは三年生だから、これをやっておぼえなさい。」といって学習する運動を知らせてやった。今度はとび箱、次はマットと、次々に学習内容の運動をひろうした。
それからというものは子供たちの態度は一変した。暇さえあれば鉄棒にぶら下がり、夢中で練習しては、「先生出来たぞ、見てよ。」とせがむようになった。(朝と昼の休み時間には出来るようになった子供のわざをみんなで見合い出来たら握手をかわし、合格となる約束をしておいた。)あれからもう、四十日、今ではお互いに助け合い、励まし合い、磨き合おうとする姿に変わってきている。また、からだは鍛えようによって変わるものだということも実感として知ったようである。ふれ合いということばが、ここには生きているようであった。
ようし、今度は先生の番だ
技術の向上にいどむ子供たちを見ながら、客観的には厳しい学習であっても、主体的に学習が展開されているときには、緊張のなかにゆとりがあり、しかも充実感を覚えるものである。また、こうした厳しさのなかでこそ、ほんとうのふれ合いがあり、真の人間的深まりができていくのだと思う。このふれ合いの美しさはきっと教室の中、生活の中にも大きく広がっていくことと信じている。
私が体育教師を志したのは、ただ体育が好きだというだけではない。小さいころの経験からみんなとともに厳しさに耐え、喜びを分かち合い、助け合い、励まし合った先生や友達のことが、今でも強く心に刻まれて忘れることができないからである。この尊い価値を、このすばらしいふれ合いを子供たちに知らせようと願うからでもあった。この美しいふれ合いをたいせつにしながら、これからも子供とともに歩み続けようと思っている。
(田島町立荒海小学校教諭)