教育福島0021号(1977年(S52)06月)-028page
教育随想
山の手らとの出会い
松本文子
新緑が一段と映える室原川の渓谷。淡い色彩の山つつじや藤の花が車窓をかすめて行く。毎朝、ダム工事に往来するダンプを避けるようにして車を走らせながら出勤する。ゆるい坂道を登りつめ、視界がわずかに開けてくると、今春から私の勤務している校舎が見えてくる。
入学式当日、教室に入ると、五年生十二名が、期待と好奇心と不安の入り混じった複雑な表情で私を迎えてくれた。毎年、四十数名の町の子供を担任してきた私にとって、一瞬「あら、これで全員かしら。」と戸惑いを感じた。でも、これだけの人数ならば、子供との心の交流も深められ、行きとどいた指導ができることに気づき、新たな意欲が盛り上がってきたのだった。
早速「語らいの時間」を設けてみた。毎日、その日の日番と放課後、十分程度雑談をするひとときである。窓際に腰掛を並べてあれこれ語り合う。私はもっぱら聞き役に回る。
S子はとつとつとして語り出した。学校まで七キロあること、冬は暗いうちに家を出ること、途中で狐に会った時のことなど。「私は家に帰ってもお友達がいないので、すぐ宿題をすることにしているの。」深い山峡の一軒家にいるこの子にとって、宿題は生活の張りであり、孤独を紛らわす楽しさなのであろう。
男の子に目立つ子がいた。K男である。行動が粗野で時折ふてくされることがある。幼少のころ、父を交通事故で失い、母が再婚したことを語っていた時、心なしか彼の目が潤んでいたようだった。
それから数日後、教室で明日の授業の準備をしていた時のことである。窓ガラスを軽くたたく音に振り向くと、K男の顔がのぞいていた。「先生忙しそうだな、がんばってな。」気恥ずかしそうにそれだけいうと、手をふりながら汚れたグローブをこわきにかかえたまま足早に帰っていった。どこの学校でも経験する場面だが、なぜかこの時のK男の表情が強く印象に残った。心の和む思いに浸りながら、心のふれ合いのきっかけをつかめた思いがした。
ある朝のこと、M男が息を切らして教室に飛びこんできた。手に数本の水仙を握りしめている。
OHPを使っての学習指導
「先生、教室に花を飾っぺと思って家の前の土手で水仙をとっていたら遅刻してしまった。すみません。」
「そんな黒い顔をしてどうしたの?早く顔を洗ってきなさい。」
「遅れないようにトラックのあとをずっと追っかけて走ってきたから、排気ガスですすけたんだべ、きっと。でもぼくは、もともと色は黒いんだよ」。
みんながどっと笑った。本人も笑った。この時は、登校時の交通指導には触れないで黙って水仙を花びんに入れ、教卓に飾ってやった。
読書朝の会で読書のたいせつさの話をした日、T子が、家には教科書以外に本は一冊もないので、図書室の開館が待ち遠しいと話してくれた。テレビっ子でありながら活字に飢えているのだろう。一般にどの子も語い力が不足している。改まった時の言葉にも癖のある抑揚をつけたがる。この子らのために、早く言語環境を整えてやらなければと思う。
十二名の学級担任である私には「二十四の瞳」の大石先生のような若さも魅力もないが、明るさと情熱はいつまでも失わず、この子らとの出会いをたいせつにしていきたい。そして心豊かで素直な子供に成長させたいとささやかな願いを強くしているこのごろである。
(浪江町立津島第二小学校教諭)