教育福島0021号(1977年(S52)06月)-029page
教育随想
子・親・教師としての実感
広田 徳一
私ども教師仲間でも、自分の子をもって始めて、一人前の教師になったといわれ、人の子を導く教育観も変わるものである。まして、わが子を入学させ職に就かせ、更に結婚させてみると、なおのことである。それは、わが子をとおして、心の底から実感として、わき出てくるものがあるからである。これからのことは、私ごとで恐縮ではあるが、子として親として、また教師としての私の得た実感をのべてみたいと思う。
私は、太平洋戦争出征中に両親を亡くしてしまった心の痛手を、終生忘れることができないのであるが、今考えると、当時の父親とのふれ合いは、どちらかというと疎であったと思う。でも、父は人一ばいの子煩悩で、きめ細かな配慮をしてくれていた父の愛情は、いろいろな形でくみとることができた。ただ、成人になって一度でもよいから父と酒杯をかわし、心ゆくまで親子の語り合いをしてみたかったと、今でも思うことがある。
私は、過ぎしある年の三月、娘の大学卒業の日、年度末で多忙のため、上京して卒業式に参列し祝ってやることができなかった。もっとも、本人は来なくともよいといっていたのだが、私は父としての気持ちを、どんな形であらわそうかと考えた。そこで、私は下宿の本人あてに、妻にもないしょで、「卒業おめでとう。本当によかったね。」と、祝電をうつことにした。来なくともよいとがんばっていた強気の娘も、後日ただひと言、「あの時はとても嬉しかったわ。」と、もらしていた。私は、どんなささいなことでもよいから、子供の心をとらえてゆさぶる「きめ手」を持ちたいものであると思っている。これが、平凡な子に対する私の平凡な父親観である。
私は、昨年四月、過去に教諭・教頭としてお世話になった現任校での三度目の勤務となり、全校の生徒にはとても実現できなかったが、三年生から始めて二年生までの子らと、昼休みの時を、席を同じくして自己紹介をし合い抱負などについて語り合う機会をもつことができた。最後にする私の自己紹介は、きまってこういうくりかえしであった。
「がんばりの心」について生徒と話し合う
『本校とは御縁があって、私の長い教員生活の約半分を、三度にわたって勤めることになりました。
しかし、このことは何も自慢にはなりません。ただ、私は、心ひそかに誇りに思っていることが、一つだけあるのです。それは、自身のことなのでだれにもいいたくはないのですが、可愛いみなさんには、うち明けましょう。
それは、一つの道を、同じ職場で、永く勤めるということは、たいへん難しいということです。私は、それをさせていただきました。私は、この道での新たな自信を、五十を過ぎたこの年になって得ることができました。率直にいって、私は、自分の持っている能力だけは惜しみなく出しつくし、困難を乗り越えて、がんばってきたつもりです。それで、この「がんばりの心」だけはみなさんには負けないつもりです。私は、この点でみなさんのお手本になりたいと思います。私の姿をみたら、声を聞いたら、さあがんばらなければ。と、心を鞭(むち)打って欲しいのです。』
教育の道は、近くにあって遠い道であり、朝夕元気にかわす子らとのあいさつが楽しい現在である。
(いわき市立平第二中学校長)