教育福島0022号(1977年(S52)07月)-008page
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刺激が加わることによって興奮し、その機能を高めるが、刺激が加わらないと委縮消耗して、その機能を低下させるため、身体を構成する細胞組織に対して、常に適当な刺激を与える必要がある。そこで適当刺激となるための基本的諸条件を考えなければならない。
第一は、至適刺激であること。網膜に対しては光、聴器に対しては音がそうであるように、骨格筋に対しては電気的信号に代表される収縮刺激がそれである。
第二に、刺激の与え方は、適度に、漸進的であること。これは一箇の細胞に対しても、人体全体に対してもあてはまる鉄則である。
第三は、刺激の強さである。水準の高い能力を維持し、あるいはそれをさらに高めようとする場合は、非常に強いトレーニングが必要であるが、きわめて低い水準の能力を維持するためだけなら、少しの努力でも保持することが可能である。
第四は、反復継続をすること。生理的な刺激効果は永続性を持たないものである。一回の刺激に反応して生じる興奮は間もなく消失するので、その後更に刺激を与えなければますます機能は低下し、ついには退化する。
第五は、リズムである。反復継続がいかなるリズムで行われるかによって刺激の効果は全く異なってくる。筋に与えられる◆縮刺激が適当な間隔でくりかえされないかぎり、随意運動を完成することはできない。一方、効率よく効果をあげるため、被刺激体を疲備心におちいらないようにするには、リズム研究が重要な事項となる。
六、学校体育と生がい体育
生がい体育にとって決定的なものは運動生活を自由に展開することができるように「動けるからだ」をつくっておくことである。いろいろな動きの基礎は、中学校卒業ころまでにはほとんど完成するものである。これは特定の身体的な活動の技術の習得ではなくして、いわば、あらゆる運動の基礎となる動きの開発と能力の獲得といえる。動ける体つくりの障壁となるものは心理的条件が中心となっている。その一つに「けが」がある。そのため、けがの可能性がある場面から逃避しようとする。次は劣等性の自覚である。学校 では児童生徒がいろいろな動きができるように、系統を追い、順序をふんで長い時間をかけて指導すべきである。こうしてつくられた「動けるからだ」は生がいにわたって動くものである。
次に、学校体育が生がいにわたり運動生活につながるものとして、運動についての知識の修得がある。身体的訓練で得たところの体力つくり、健康つくりについての原理や方法についての知識は実践を媒介として、実践的知識を形成するところに深い意味がある。体力つくりは一週間や一か月で完成するものでなく、継続して行わなければならないこと。運動には適度な刺激が必要であること。運動の量や質を考えること等についても、学校時代に修得されなければならない。
第三は、運動への興味を育てることである「運動の好き嫌い」をつくるのは運動志向の最も強い学生時代である。特定の運動についての興味や関心は、環境が変化すれば変るが、年齢の変化によっても変る。学生時代の運動志向は、内容変化を示しながら生がい続くものである。
児童・生徒の体力の現状
一、体力・運動能力の推移
(1)昭和四十一年度と昭和五十一年度の比較
昭和四十一年度に実施した本県児童生徒のスポーツテストの結果と、昭和五十一年度の結果を比較してみると昭和五十一年度が全般的に優れた傾向を示しているが、年齢、種目別にみて特に劣っているものをあげると次のとおりである。
表1昭和41年度と昭和51年度との体力診断・運動能カテストの比較
(昭和41年度の平均値を100とした場合の51年度の平均値を指数で示した。)
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