教育福島0022号(1977年(S52)07月)-025page
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教育随想
部活動とわたし
添田雅教
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バレーボールのバの字もわからないまま、生徒とともに本を頼りにはじめた部活動。今では伝統の強みもあって技術の上達もすばらしく、生徒一人一人やる気じゅうぶんで、毎日厳しい練習に耐えながら、明るく楽しい部活動をしている。
部活動の中でも、一番楽しいひとときは休憩の時間である。ここには、学年のわくを越えた友と友の触れ合い、生徒とわたしの楽しい対話のひとときでもある。ある生徒は、家庭での父母の不和の悩みを訴え、ある生徒は、勉強についての悩みを訴える。さらには進路の相談もする。こうして、わたしと生徒とは、三年間の中で肉親以上のきずなとなって結ばれていく。
わたしの部活動の方針は、一つのことを三年間やりとおすこと。それが、どんなに苦しくとも絶対やめないこと。一つのことに専念できる人間が、最終的には勝利をつかむことになる(人生においても)と、いつもバレーボール生活をとおして感じてきたわたしである。したがって、現在では、一年に入部したほとんどの生徒は、三年間バレーボールをつづけている。
その中でも、S子は、特に印象に残った部員の一人である。
S子は、運動神経はそれほどすぐれている方ではないが、きわめて熱心に練習する生徒であった。勉強と部活動を両立させることが、わたしの部の指導の一つでもあるので、学習計画表を作らせ、アドバイスをしてやった。
S子は、わたしの考えを素直に受け取り、学習面でもずばぬけた努力をした。
三年生になり、S子はセッターとなって活躍することになった。しかし、家庭に帰ってからも熱心な練習のため郡大会を目前にして、ついに腰を痛めて病院通いになってしまった。S子は親に付き添われ、わたしのところにきて、涙を流しながら、大会を前に出場できなくなったことをわびた。
わたしは、その時、S子の努力のすばらしかったこと、選手になって活躍することだけがすべてではないことなど話し、マ-ジャーとして部活動をつづけるように勧めた。それからのS子は、病院通いと、部活動のめんどうをみることで忙がしかった。
郡大会も優勝し、県大会出場が決まり、練習に余念のないわたしのところに、S子はにこにこしながら入ってきた。「先生、また、バレーボールができるようになりました。」と言ったS子のひとみの輝きを見た時、わたしは、バレーボールを指導してきてよかったとしみじみ感じたものである。それからのS子のセッターとしての活躍はめざましく、県大会では準優勝し、東北大会に出場することになった。
S子は、このことがきっかけとなりバレーボールで鍛えられた忍耐と根性は、学習面でも発揮され、学年で、常に上位の成績をおさめていた。
S子は、今春、難関を突破して国立一期校のある大学に入学した。
そのS子からの手紙に、こう書かれている。
『中学時代バレーボール部に入っていたことが、わたしの心のささえになり、どんな困難にも負けることなく、それを乗り越える、勇気と力を与えてくれるのです。』と。
わが校のバレー部は、バレーボールをとおしての人間形成を目ざし、よりよい人間関係をつくりながら、からだを鍛え精神を養い、『ファイト』『フェア』『フレンドシップ』を合いことばに、きょうも練習をつづけている。
(棚倉町立棚倉中学校教諭)
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ファイト・フェア・フレンドシップ
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