教育福島0022号(1977年(S52)07月)-028page
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教育随想
診療室の窓から
稲富正昭
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柔らかい日ざしを受けた治療台に、きょうもC子ちゃんがちょこんと腰をかけてわたしを待っていた。彼女は町から数キロ離れた地区にあるD小学校の三年生で、二月の学年末から歯の治療に長いこと通院している。はきはきしたしっかり者の彼女が治療の合い間に話してくれる学校生活や家庭生活、そして地域での生活のようすは、昨今いろいろと話題を提供している教育のありようの一部(いやすべてかもしれない)を語っているように思われる。
にこにこと無邪気に話す学校生活には大きな不満をうかがわせる。学校は大へん楽しいらしいが遊ぶ時間がなく放課後はすぐに帰らせられるのがつまらないというのである。学校教育が計画的、継続的、規律的であるというわく組みは、形の上では今も昔も変わっていない。しかし、そのあり方においては大きな相違が見られる。社会の変化や発展によって子供は知識面は豊富だが、子供本来の要求の面では変わっていないということが、学校教育のタテマエと子供のホンネとの対立を生んでいるのかもしれない。
学校教育の特徴の一つに、集団生活の中における人間関係、社会技術の体得があげられる。しかし、今日の受験地獄、「未塾児」というような、異状なことばが生まれる学校生活の中で、子供同志、子供と教師が膚と膚の触れ合いの中で相互に影響し合う機会はあるのだろうか。
C子ちゃんの家庭は五人家族であり家族がいっしょに顔をそろえるのは夜だけらしく、夜がいちばん楽しいと言う。夕食をともにしテレビを見て団らんする中で、両親の口論、両親と兄姉の対立、兄姉と彼女とのけんかとその原因等ありのままの姿を聞かせてくれる。その中で近年とみにその重要性が強調されてた家庭教育のあり方について考えさせられる。「親が子供に社会とか人生とかをいかに教えるか。」ということである。親が子供に人生を教えるということは大へん困難なことである。しかし、親は子供の発達段階と経験に応じて、人生についての考え方、あるいは人生を考える方法についてできるだけ具体的に語って聞かせる必要がある。以前はいかなる家庭においても子供に家族の一員としての役割を分担させ、それを果たさせることによって家族としての自覚、連帯の強化が行われ、さらに日常生活や社会参加の中で人間関係や社会生活のあり方を語り教えてきたのである。そしてこのような素朴な道徳性が、生活圏の拡大に伴い社会人としての自覚、集団の連帯並びに義務意識や責任感へと向上させてきたのである。現在、親から子供への語り教えの中で、果たしてこのようなことが、おこなわれているであろうか。生活の全般にわたって省力化されている家庭生活のかげに、子供たちは無気力な生活をしいられているのではなかろうか。
C子ちゃんの住む地域は、町の中でも古い歴史と伝統を持つ地域であり、子供の生活にも四季おりおりの楽しい遊びや社会行事があったはずである。
しかし、彼女の帰校後の生活は楽しさが少ないらしい。テレビやマンガが遊びの中心で、遊びの種類や場所、友人が少なく、変化がないのである。子供は家庭や学校の制約から離れ、近隣で遊ぶことが本来の姿である。そこは喜びを経験し、生活を発見し、生き方を習得する機会であり場であるはずである。それなのに、変化する生活の中でおとなの都合が優先し、子供によかれと考えてしてきたことが、結果的には子供の本来の生活を取り上げてしまったのかもしれない。
さらに、子供の成長の中でもっとも郷土意識が養成される「ふるさと行事」の退廃がある。従来は一年をとおして二十四節、地域によって多少の相違はあっても、伝統的な家庭行事や社会行事があり、家族ぐるみ、地域ぐるみの楽しみがあった。このふるさと行事を体験する中で、楽しみ、悲しみ、苦しみ、喜びを経験し、自分の人間性を増幅するという意義も、おとなの都合が先に立ってはいないだろうか。豊かな感情を持つ人間は、豊かな経験の中に育つという教育原理を忘れ、子供本来の生活を、社会の変化という大きな流れの片隅に追いやってしまった私たちおとなは、C子ちゃんの無邪気な語りかけを反省の出発点とし今すぐに子供のホンネに耳をかたむけるだけのゆとりを持つ必要があると痛感させられるこのごろである。
(田島町教育委員会教育委員長)
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