教育福島0023号(1977年(S52)08月)-026page
教育随想
子らの眼に輝きを
小松順子
「きょうのモデルは僕だよ。」
A児の大きな声。土曜日の朝の集いの時間である。十分間クロッキーを始める前の各教室から聞こえるざわめき。しかし、筆や鉛筆をにぎったら物音ひとつしない。真剣そのものである。学校中がシーンとなる。
はじめB児は、「どうしても人物がかけない。」というので、のぞいてみると、人形のような人物が弱々しくぽつんと画用紙の真中にかかれていた。しかしB児らしいほほえましい絵だったので、「先生はね、絵のじょうずへたというよりもこのように自分で見て、いっしょうけんめいていねいにかけている絵のほうがいいと思うよ。だからおっくうがらずにどんどんかいてごらん。きっとすばらしい絵がかけるようになるよ。」といって肩をぽんとたたいてやったら、にこっと笑った。
それ以来、自信をもつようになり、今では動きのある人物もかけるようになったし、友達の作品にも堂々と感想をのべることができるようになった。
去年の夏休みのことである。K先生と、二、三年生をつれて近くの農家に牛をかきに行った。ふだん教室では、注意散漫なC児も、あまり意欲を示さないD児も、E児も大よろこびであった。
はじめに何をかくかについて話し合わせた。D児は両手いっぱいに草を持って食べさせながら、その表情がかわいいといって、これにきめたと大はりきり、E児は歩くたびにしっぽでぴしゃぴしゃ体をたたく牛の動作がおもしろいという。C児は、よだれをたらしながら、すわりかけている牛の背をなでて大満足である。
次はポイントの指導である。大きな角、白と黒のまだら色、後ろ向きの牛大きな乳、ほし草のむんむんするにおい。一人一人の子供たちが印象の強かったものからかきはじめる。迷っている子供たちには、牛の動作化をさせた。
できあがった作品は、それぞれ個性の出たすばらしいものとなった。
C児、D児、E児の作品はもちろん、じっとこちらを見ているA児のかいた牛はなんともいえない表情をしているし、B児の牛は、今にも、モォーと鳴き出しそうである。
成功であった。このことがあってから、D児もE児もすっかり意欲をもち他教科の学習や生活にも生き生きしたものが感じられるようになってきた。
よい絵をかかせるには、まず、子供の心を育てることからはじめることがたいせつではないかと私はつねづね考えている。
十分間クロッキーのねらいもそこにある。顔ばかり大きくて、もみじのように小さな手しかかけない子には、指をいっぱいに開かせて顔にあてさせてやる。こんなに手が大きかったのか、と子供の国が育つ。
毎日顔を合わせている友達でも、クロッキーをとおして新しい発見があり友達を見る新しい目が育つ。どの子もなんでも抵抗なくかけるようになり、誠実に愛情こめて対象を見つめようとする態度ができ、絵をかくことが好きになっている。
このような実践をとおして身のまわりを眺めさせると、かきたいものが次々に生まれる。
--自信のない子には、はげましを。意欲のない子には感動を。--これが私の信条である。
豊かな創造力を育てるのには、一人一人の子供たちの眼の輝きをだいじに毎日の小さな、しかし確実な実践がたいせつではないか。それにも増して、自分を高めることがたいせつなことではないか、と思うことしきりである。
(会津若松市立共和小学校教諭)
クロッキーをとおして子供の心を育てる