教育福島0025号(1977年(S52)10月)-026page

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教育随想

 

五十一人の子らと

 

星正弥

 

られ、まるで新卒のころのフレッシュな気持ちをよびさまされるようであった。

 

全校生徒五十一名。私の受け持つ二年生が十三名。教室に入るとまばらな座席に、物足りなさを感じる。校庭にはいつ消えるのかと思われる、一メートル以上の残雪。四月、転勤したばかりの私には一まつの寂しささえ感じさせる心象物象であった。しかし、そんな感情もすぐに消しとんだ。出勤途上立ちどまって帽子をとり、明るい笑顔であいさつする生徒。出張から帰ってくると、三階の窓から手をよって「お帰りなさい。」。と大きな声で迎えてくれる生徒。素直な生徒の態度に、新任教師への期待のようなものがひしひしと感じられ、まるで新卒のころのフレッシュな気持ちをよびさまされるようであった。

四月の最初の学級指導の時間である。黒板に私の方針である「だれにでも、よいところがある。そのよいところを大きく伸ばしていこう。そうすれば欠点はかくれてしまう。」ということを書いた。さて、よいところを大きくしていくためには、何をどのようにしなければならないか。という問題にぶつかる。小規模校の利点は、生徒との接触が多いため、個人理解が深められることである。まず、短学活の話し合いを多くし、個人面接の機会を重ねた。幸い前任者がたくさんの資料を残していかれたことが、たいへん役に立った。その中から話題を出すと「先生、どうして知ってんの。」と不思議がり、生徒と私の時間的距離が縮められ、ずーっと以前からともに生活している錯覚に陥いるほどであった。小規模校においては、学校が一つの学級みたいなものである。五月になると保健主事より身体検査の結果がまとめられ、それが「いわくら」(教頭先生が発行している「学校だより」年間百号)にのった。いわく「本校生徒の体格を分析すると背が低く体重が劣る。」という見出しの記事がのった。たまたま私は体育主任でもあったので、なんとかしなければという責務にかられた。体格即体力ではないが、まず体力づくりに取り組むことにした。他の先生がたも積極的に賛成してくれた。朝、登校したら体力づくりコースをまわる。昼の疲労回復体操。放課後の全校体力づくり。昼休みのクラスマッチ。部活動や水泳の練習。これらのものを全校生対象で実施してきた。小規模校というのは中体連一つ取つ上げても、陸上競技、球技、格技、水泳、スキーと一人の生徒がいくつもかねることになる。いろんな機会を与えてやるうちに、今まで目立たなかった生徒が、意外なところで活躍する。運動の不得意な生徒は、学芸クラブや、生徒会活動、学級活動に精を出す。個人の良さを再発見して、職員一同で喜び、更に前進を誓い合うのである。八月に行われた水泳の方部大会では優勝をかちとった。生徒、職員はもとより、地域をあげて喜びにひたった。

 

三島町大林公園でのトレーニングセンター

 

三島町大林公園でのトレーニングセンター

 

一学期をふりかえって、忘れられないのは、夏休みに行ったトレーニングセンターである。学校を離れて、三島町の大林公園にテントを張り、集団訓練をしたのである。学校では得られない二十四時間教育をとおして、生徒との心のふれあいを強く感じたことである。全校生五十一名と全職員がいっしょになって、「奉仕」の精神を学んだのである。夏休みが終わると、生徒たちはすぐに「一人暮しの老人に声をかけよう。」運動を実践した。「私たちは、西方中JRCの団員です。なにか困ったことがありませんか。お手伝いしますので、何でもいいつけて下さい。」といって町内九名のおとしよりを訪問した。トレセンで学んだことをすぐ実践に移す反応の速さと素直さを大事にしたいと思う。一学期を反省してみると、生徒も先生もそれぞれの立場で「忙がしかった」の一語につきるようである。

(三島町立西方中学校教諭)

 

 

 


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