教育福島0025号(1977年(S52)10月)-028page

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教育随想

 

合いことば"がんばれ"

 

堀越裕男

 

れ、行きとどいた指導ができることに気づき、新たな意欲が盛り上がってきた。

 

へき地校から町の学校に転勤して初めての私の担任は特殊学級であった。七人の小人数とは言え、特殊学級の設置校にも勤務したことのない私にとっては全くの未知の世界である。言い知れぬ複雑な気持ちで始業日を迎えた。七人の子供たちとの出会いをたいせつにしたいものと早朝に出勤した。不安と焦燥の交錯した心情で、まだ子供の登校しないガランとした教室に立った。この七つのいすにはどんな子が座るのだろうか。これだけの人数なら、子供との交流も深められ、行きとどいた指導ができることに気づき、新たな意欲が盛り上がってきた。

「おめえ、だんじゃ。」勢いよくとびこんできた男児は、棒立ちになって見知らぬ私に向かって叫んだ。カバンもおろさずとび出して行った彼は「おかしな奴が教室にいるぞ。」と職員室にかけこんだという。こうしたM君との出会いで、私の特殊学級担任が始まった。

四年生のM男は人なつこく、私の脇にすがり、抱擁とほほずりが喜びの表現である。だが不穏な対人関係で見せる白眼は異状であり、心に引っかかった。かん子分べん児で容易に産声を聞けなかったという。業間時にこの子らと鬼ごっこをした。いつものようには容易に鬼を交代してくれない私の背後に、M男はやにわに投石してきた。取り抑えた私の腕にかぶりつき、歯形を残した。学習中、ちょっと強い態度で接すると「畜生、殺してやる。」と、そばにある物は何でも投てきの材料にした。あのあどけないM男が瞬時にしてどう猛な様相に一変する。だがすぐに「ごめんね。」と首にすがってくる。

五年生のS子は、入級後間もなくかん黙症がなおり前担任を驚ろかした。この子も意にそわないことがあると、ブスッと黙していっさいを放棄して動ぜず、小用を洩らすことがしばしば。

五年生のN子は、いたずらに物におびえ、興奮するととめどなくおしゃべりをする。学習意欲は強いが壁に当たるとあっさり挫折する。家庭的な悩みに心労し喜怒の情がはげしい。

六年生のT男は、忍耐力に欠け依頼心が強く無気力である。ちょっとした友達との争いで、床にねそべり泣きわめく、まるで四、五歳児である。

周囲の甘やかしや過保護などから子供の興味のみにまかせ、ともすれば放縦に陥りやすいが、彼等がやがて社会的に自立するためには、社会の規制や風当たりは普通以上に強く厳しい。この厳しさに堪え抜く態度を培うことが彼等をより幸せにする大きな要素になると思う。私は彼等に"がんばろう"の合い言葉を与えた。学習、生活の全領域のあらゆる機会と場で、この言葉を生かすことに努めた。どんなささいなことも見逃さずにがんばったことを認めてやった。子供らはがんばることの楽しさと喜びを心身をとおして認識し、"がんばるぞ"の声が聞かれるようになった。

前年まで運動会の出場をかたくなに拒んでいたM男とN子が百メートルに出場した。始めっからのビリで、最後まで走りとおしたM男は私の前を走り抜ける時大声で「先生、がんばっかんな、おれ。」と叫んで走り去った。N子は先頭との距離約五十メートル、歯をくいしばって完走した。神々しいまでに厳粛なその情景に、私も涙して満足した。

 

みんながんばろう

 

みんながんばろう

 

学習発表会にも特殊学級単独でプロの一つを受け持ち、紙芝居を発表した。合い言葉"がんばろう"の成功である。子供の発表を見ることができなかったからと言って、T男の父が来級し紙芝居を所望していった。

これらのことがいっそう子供たちの自信となり、何事にも意欲を増長していった。やがて、子供たちは世に出て人一倍苦難の道を歩まなければならない。このことを思うとき、いつまでもあの"がんばり"を、貫いていって欲しいと願っている。

(双葉町立双葉北小学校教諭)

 

 

 


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