教育福島0025号(1977年(S52)10月)-040page

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〈今日の図書館〉

 

〈今日の図書館〉

〇〇町へ六百冊、××町へ三百冊、〇〇小学校へ三百冊、××文庫へ四百冊。

以上が約三か月の間に県立図書館が従来の貸し出し以外の団体に二百冊以上の貸し出しをした子供の本です。(百冊以内の貸し出しは書ききれません。)

いま県立図書館では、子供の本の要望が相次ぎ、やりくりに四苦八苦です。

あちこちの公民館で子供の本の貸し出しを始め、小学校でも家庭との連携のうえ、親子読書運動を始めるところが増え、文庫の活動も活発です。いずれも蔵書数が少なく、図書館にSOSが送られて来ます。

移動図書館の巡回でも子供の本の貸し出しは年々増え、若い父親・母親がたくさんの絵本を抱えて帰ってゆく姿もみなれたものになりました。

 

〈絵本狂騒曲〉

以前とちがって、今日の子供の本は心理学から公害まであらゆる分野にわたり、年齢も赤ちゃんから大入まで楽しめる間口の広さと内容の充実がみられます。

とくに十代の人たちに読んでもらいたい本の種類の多さと質の良さは、物のない時代に育った人間にとっては、もう一度子供時代にもどりたいとため息のでるほどです。

それにもかからわず、県立図書館への要求は絵本と低学年向きのものに集中し、絵本は買っても買っても書棚から消えてしまいます。公民館や小学校への配本のときも、絵本が足りない、低学年向きのものをもっとという声がしきりです。たしかに現在の絵本は、"絵本は幼児のもの"という概念は通用しなくて、大人まで感動をもって読める幅の広さをもっていますので、需要が多いのかもしれません。が、それにしては、少し厚いもの、活字の小さいものなどは読まれた形跡もなく返って来ることが多いのです。

図書館に来る子供たちをみても、幼児から小学校三、四年生ぐらいまでが圧倒的に多く、年齢があがるにしたがって、読書ばなれの傾向が多くみられます。

 

〈読書の習慣とは〉

お父さんお母さんが子供たちといっしょに絵本を読んでいる家庭が増えました。幼稚園・保育所でも絵本の読み聞かせや貸し出しが盛んです。小学校でも低学年の国話の教科書に「スーホの白い馬」や「スイミー」が載ったせい?(残念ながら教科書に載った作品は、もとのものとは似ても似つかないものに切り刻まれたものになっていますが)でしょうか、絵本に興味をもってくださる先生が多くなりました。

しかし年齢があがるにしたがって、子供たちは"勉強"が忙しくなり、大人たちは子供の読書の領域が広くなったり、本の厚さが厚くなったりで息切れがしてしまい、子供は良い読書の相談相手にめぐり合うことが少なくなります。そして中学生・高校生になると受験体制に組み込まれた子供たちは、人生の一番多感な吸収力のある時期に本を読みたくとも読めないという状態になってしまいます。

そのため、読書習慣が中途半端なまま、何もかも手軽なものを優先させる風潮の世の中で、若い人たちは実のある読書をますます敬遠するようになります。

はげしく変動する今日の社会で、生がい教育、生がい学習の必要性がいわれています。また週休二日制、寿命ののび、核家族の進行は余暇時間の増大を伴い、今後私たちの生活をより豊かなものにするにめに、読書はますます大きな意味をもってくると思われます。

読書とは、ある日思いつきで始めてもなかなかスムーズに行かないものです。幼児からの長い積み重ねがあって初めてより良い読書生活が送れるものです。ちょうど、物心つくころからずっと私たちの生活の中に引かれる一本の長い線のように。

いま、"子供たちに読書を"という声が大きくなっていますが、あまりにも表面的なもののように思えてなりません。大人たちが手軽にできるうちは熱心に、あとはなるがままに、という状態は決して望ましいものではありません。子供たちの生がいにわたる問題として、大人は子供の本、読書について考え、良い読書の相談相手になれるように努める必要があるでしょう。

 

 

 


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