教育福島0026号(1977年(S52)11月)-021page

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教育随想

 

長い目でみつめたい

 

水野三恵

 

水野三恵

 

教師になって、強く感じ、心でつぶやくことは、「生徒や自分のまわりの人たちの可能性を信じよう。目先のことだけで、その人を判断してはいけない。

その人なりの良さがいつかは芽ばえすばらしく成長するのだ。」と…。

それらの事例を、すこしあげてみたい。

 

(一)「先生いろいろ御迷惑をかけてすみませんでした。高等学校へは行きませんが社会人として、はずかしくないようにがんばります…。」と堅い握手をして校舎を去って行ったY君。二十歳の同級会の時は会の運営の中心となり、一か月間も準備にかけずりまわったとか。当日は会の代表者として、あいさつもした。高校を卒業した友、大学生の友…と沢山いる中で堂々とあいさつした彼の姿は本当にりっぱであった。

また、ある年の元日には、七十キロ以上の母親(十年前から足がわるくあまり歩けない)を背おって、二百五十段以上の石段をのぼって、お参りをした。半年前に、かわいいお嫁さんをもらった。結婚式の前後に、二人そろってあいさつにきてくれた。その時の態度のりっぱだったこと。先日若夫婦がお母さんをいたわりながら、マーケットで買い物をしているのに会った。

いつ会っても何か、ほのぼのとした感じを与えてくれるY君…。

 

(二)中学二年のころは、人のいやがることを平気で言って得意になっていたK君。中学三年になったら、ずい分かわった。卒業後、職業訓練所、就職(大工・埼玉県)、定時制高校、一年の二学期学級委員、三年生の時、定時制高校埼玉県代表選手(柔道)に選ばれ五名の一人として、あこがれの講道館でがんばった。四年生では生徒会長に選出された。

今は働きながら夜間大学に学び、一級建築士を目ざし励んでいる。

中学時代には、班長にもなったことのない彼だったけれども…根性はあった。それは、ある大雪の日、山道(開拓で一軒家…自転車一台がやっと通るくらいの急な道)を四キロ、バス路線(バスが運休のため)を八キロ、計十二キロの道程を四時間かかって登校してきたK君。十時すこしすぎ、真赤な顔をして教室に入ってきた彼に、おしみない拍手…。忘れられない光景であった。

 

クラブ活動で生徒と連珠

 

クラブ活動で生徒と連珠

 

(三)卒業式の朝「先生、これを…」と四人の女生徒が、白い布をそれぞれもってきた。「何かしら…」とすこしいじってみたけれどもわからない。「カーテンです」と言われて気がついた。今まで使っていた教室のカーテンを洗濯してきてくれたのだ。そのカーテンも、校舎も、あと半月で使わなくなる。(四月からは、統合して、東北一といわれるような新校舎に移るために…)しみだらけのカーテンだけれども、なんと白く、きれいに見えたことか。彼女たちの「気持ち」と「カーテンの白さ」は、永久に、私の心から消えぬであろう。

 

この他にも、まだまだ沢山の、すばらしい生徒・父母・先生がたに出会った。そして教えられた。励まされた。それらの人たちに感謝しながら、これからも、一人一人の生徒たちの良さを少しでもみつけ、のばしてやれる教師になるよう努力したい。

 

(石川町立石川中学校教諭)

 

 

 


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