教育福島0026号(1977年(S52)11月)-022page

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教育随想

 

教育優先の教育行政を

 

五十嵐幸作

 

五十嵐幸作

 

本村は昭和三十二年勝常・笈川の両村が合併し、両村のほぼ中央を流れる湯川の名をとり、湯川村が誕生した。

本村は会津盆地の中央に位し、面積一六・八一平方キロ、稲作を中心とした純農村である。

本村には国の特別保護建造物に指定されている会津中央薬師堂があり、重文十二体の仏像が安置され、会津文化の中心地として知られている。

合併当初は、人口五千七百三十九人であったが、現在は三千八百七十一人に減少し、過疎地域に指定されている。勝常・笈川両小学校は、当初十二学級であったが、現在は六学級である。湯川中学校は九学級であったが、現在は六学級で今の定数法から今後の推移をみると、昭和五十四年には五学級となり、五十五年には四学級となり、その後六学級に復帰する。中学校は教科担任制であり、四学級では教員の定数からみて、教育実績の向上は困難である。現在一学級の定数四十五人であるが、これを四十人とすれば、学級減は防ぎ得て、教育の実績向上は確保できる。是非学級定数の引き下げを断行してほしい。

勝常には厚生省から補助を受けて児童舘が設置され、四〜五歳児の保育に当たっている。笈川には文部省から補助を受けて幼稚園が設置され、これまた四〜五歳児の教育に当たっている。保育の内容は全く同じで、勝常地区の住民は児童舘を幼稚園に改名してほしいと強く要望しているが、所管官庁が異なるのでいまだに実現していない。何とかならないものかと苦慮している。

本村は教育優先の立場から、種々の施策を講じており、昭和四十九年以降だけでも中央公民舘、勝常小学校のプール、笈川幼稚園、笈川小学校のプールの建設等に約一億三千万円を投資している。

昭和五十二年度は笈川小学校の改築に二億五千万円、米飯給食センターの建設に四千三百万円の予算を計上し、現在工事は順調に進ちょくしている。笈川小学校は明年七月三十一日完成、米飯給食センターは今年十二月三十一日に完成し、三学期から米飯による完全給食が実施される予定である。学校給食が児童生徒の体位の向上に寄与した実績は高く評価されている。今までパンだけが主食として認められていたが、今度の法改正で米飯が加えられたことは、非常に喜ばしい。一〇〇%近い輸入に依存しているパンの原料、一方、国内産の米は生産技術の改善と農民の努力によって増産の一途をたどり米の消費が減少したことから過剰米を生じ、減反政策が行われ、食管制度があるにもかかわらず、政府の買い上げ数量は制限されている現状である。国の食糧政策の見地からも、米飯給食が全国的に普及されることを期待するものである。

次に社会教育指導員の制度ができ、本村にも昨年から配置され各種学級の開講で顕著な実績があがりつつある。国県の補助金は三か年で打ち切られることになっているが、苦しい地方財政を援助する立場から、補助を継続するよう切望するものである。

教職員が児童生徒の教育に専念するためには、児童生徒の養護や学校事務関係は専任の職員をあてるべきである。これ等の職員は義務教育の学校においては、一般教職員同様全額県支弁とすべきである。現状においては小規模の学校には配置されず、本村においては事務職員三名は村費でまかなっている。出来るだけ早い機会に、全額県費支弁の職員を配置してほしい。

学校教育でも社会教育でも、施設・設備の充実なくしてその実績をあげることは困難である。しかし、これを運用するのは人である。その人に質と量とが確保されたとき、教育の向上進展は期して待たれるのである。最近とみに重要性を叫ばれてきた社会教育において、人員の不足が目立っている。早急にこれが充実に努力せねばならない。

現場の教職員の各位は、日々新たに進歩発展する社会状勢におくれることなく、研修に最善の努力を払い、児童生徒の幸福のため、また、地域社会の進展向上のため、精進されるよう念願するものである。教育委員会としては教職員や地域社会の要望を明察し、施策に誤りなきよう細心の注意を払い、努力することを誓うものである。

 

(湯川村教育委員会委員長)

 

 

 


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