教育福島0026号(1977年(S52)11月)-025page

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教育随想

 

生徒の可能性の発見

 

千葉信夫

 

千葉信夫

 

前日の雨もすっかりあがり、秋の太陽がまぶしく光る校庭に、三百六十名の若鮎(あゆ)が整列して入場行進を待っている。午前九時、各クラスで趣向をこらして作りあげた級旗を先頭に、いよいよ三年に一回の体育祭の始まりだ。私の胸は高鳴っている。無理もない、教員になって三年目初めて企画した大きな行事であったからだ。

前任者の残してくれた資料をもとに取り組んだのは二か月前。最初の実行委員会で基本方針を打ち出したが、校舎改築で校庭の四分の一は使えない。

体育祭のスローガンは、「みんなで楽しむこと」と「クラスの団結」とし来年実施の「南高祭」のリハーサルにしようということで意見が一致した。まず、種目の選定から取りかかり、各学年男女別でそれぞれ団体種目、個人種目の二種目を決定した。前回の資料を参考にユニークな種目を考え出したのは一年生。修学旅行を目前にし一・三年のアイディアで作りあげたのは二年生。そして、三年生は、一・二年生の種目を気にしながらなかなかまとまらなかった。

こうして種目の半分は決まり、残りは男子全員で行う組体操、女子全員で行う花笠音頭・故郷音頭だ。難しいのは女子だった。体育の先生は男だけで踊るのは初めて、てれながらも練習の成果を発表し大きな拍手をえた。体育祭の華であるリレーは、クラス対抗リレー、部・同好会・委員会対抗リレーの二つを組み入れた。そして、仮装行列、全員で行うフォーク・ダンスも提案された。ここまで来てようやく体育祭の内容がは握でき、生徒も先生も一つになり目標に向かって進んだ。

次は係分担。実施まであと三週間。各係での討論が始められたのに反し、各クラスでの盛り上がりが少ない。そんな中で、男子の協力が得られないで泣きながらクラスの奮起を訴える女子生徒の話しが耳に入ってきた。甘えん坊の彼女が、重責に耐えられないで流す涙である。実行委員会では、生徒会長が、「おれたちの体育祭だべ、誰がやんでもねえぞ。おれたちでやんだベや。」と檄(げき)をとばす。

実施十日前、各係での準備が進む。クラスでは級旗作りが始まり、盛んに意見の交換が行われる。下校時間延長の要望が出た。二日前、予行練習。集団行動を中心に行われた。男女の集団演技もまだまだ不安だ。そして、時間をかければそれなりの成果を生むことは可能だが、一回の練習でうまくやろうとすれば無理がくる。「うまくやる姿でなく、一生懸命やる姿を見てもらおう。」という言葉で当日を迎えることになった。予想をはるかに越える父兄の参観をえて、「見てて楽しかった。良かった。」という言葉で、短かい一日が過ぎ去った。

 

学園自治の花開く体育祭

 

学園自治の花開く体育祭

 

私は、三年間で初めて生徒の可能性を目のあたりにした。企画・運営がなかなかうまく指導できなかったのに、自主的活動の成果が初めて一つにまとまり大きな花を咲かせた。練習では失敗ばかりで、ぎこちなかった集団演技が見るものを驚嘆させた。クラスが一つになり、級旗を振って大声で応援したクラス対抗リレー。そのクラスが、最後に大きな輪となり踊ったフオークダンス。自分を表現する方法を知ることの少ない、恵まれない山間部の生徒に、自分を表現する場、自己主張の機会を設けてやることのたいせつさ。生徒とともに悩み、大きな行事を成功させた喜びを土台として、また一歩前進しようと思う。

 

(福島県立南会津高等学校教諭)

 

 

 


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