教育福島0027号(1977年(S52)12月)-025page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

佐藤 特定の高校がミニ東大化したり有名校を卒業していないと社会生活にも影響するなどの問題があり、そのことからまわりの高校の教職員も、それらの有名校に習おうとする風潮が生まれ、それによって“学校としての味″というものが失われてきたのではないか。それを解決する方法として“個性伸長″“味のある学校″を作るために実験的な試みを行ってもよいのではないか。

新田 教育の機能には、一面現状を改革するとか、改善していくとか、時代の進歩におくれないで新しいものを追求していく働きがある。また、それだけでなく、文化を後世に伝えていくという機能も重要である。

戦後の教育は、古来の日本の文化、伝統、文化遺産を無視した。だから根なし草になったきらいがあると思う。新しく出発するという意欲的なところはよかったが、新しく出発するに当たって何をよりどころにするかが不確定のきらいがあったので、だれかがいうように、インターナショナル的なものになってしまった。そのため、教育が本来もつべき日本の教育、日本人の教育において足もとがないため、画一的な教育になってしまったのではないだろうか。

我々が現実に生きるという場合、世界人として生きる、日本人として生きる、福島人として生きるということが必要なわけで、学校の営みもまた人間の一生を通じて、何が重要であるかがたいせつである。やはり、出身学校のほこりを持つことができるような教育の経験をさせることが、必要なのではなかろうか。

渡辺 小学校時代は、すべてのことを吸収しようとする意欲が強い時期である。その時期には、先生がたが全知全能を傾けても得手、不得手があり、子供にとってそのことが一番影響する。そこで、小学校高学年においては、教科担任制をしいていただきたい。

司会 小学校高学年の教科担任制については、校長の運用の問題として処理していると思われますがいかがですか。

義務教育課長 力を合わせて、一人一人の子供の力を伸ばしていくことはたいせつです。例えば、同じ時間に二〜二人の先生がたが一つの教科を合同で指導するとか、教師の特性を考慮した教科担任で特定の教科を指導するとかして、協力して子供の力を伸ばしていこうとするくふうがなされています。

渡辺 ある小学校のPTA会員の話ですが、女教師が体育が不得意のため、他の学級に比較して、その学級の子供の技能が劣っているということを話していた。先生がたにお願いすることは教職にある以上、均等な教育を施していただくよう、努めていただきたい。

佐藤 学校現場において、学校管理がきびしすぎるのではないか。例えば、ある学校では、松島に修学旅行するのに、“必ず五時までに帰校すること。五時以降は学校当局として責任をもちかねる”とのこと。そのようなことから必然的に、内容が過密になり、修学旅行の目的が果たせないのではないか。

司会 今の件につきましては、“管理がきびしすぎる”という意見がある反面、事故があった場合には、“その時刻までどうして許可をしたのか”という意見も出てくると思います。そこで行政サイドとしては、良識的にここらへんが妥当ではないかと判断して一応の線をだしているわけです。

佐藤 学校教育に対して、どうして、こうも騒がなくてはならないのか疑問に思う。親たちが子供たちに過大の期待をかけすぎているからではないか。このことが新聞社や教育委員会に投書やたれ込みを多くしているし、学校では、こういう環境のため、事なかれ主義になっている。そのため教師は、みんなで環境づくりをする必要があるのではないか。

渡辺 今の子供たちは、読み書きの力がついていないのではないか。それは今までの戦後の教育の中で国語教育を軽視してきた結果があらわれたのだと思う。いったい今後どのような考え方で国語教育を推進していこうとしているのか。

司会 教師サイドの問題ですが、今までの傾向として間口をひろげすぎたきらいがあると思われます。しかし、今回、教育課程の改訂で解消されていくものと思われますし、また教師自身も努力していかなければならないと考えます。

伊藤 子供たちに、将来、人間的な生き方をさせていくためには、良心を育てる教育をもっと重視していく必要があるのではないか。最近、子供たちが何事においてもこつこつと努力していく姿が見られなくなった。人が悲しい時には、悲しんでやり、人が苦しい時には、ともに苦しんでやるという心を育てる教育を、学校教育の中でどの程度重視して教育をしているのだろうか。もっと心を育てる教育をしてほしい。

関口 学校教育の中で一番わかってほしいのは、教育という苦しみを、みんながきらって甘くなりすぎているということである。学校の設立が簡単にできる結果、ほんとうの学校づくりができないのではないか。草がはえるとPTAが草むしりをしたり、ガラスふきをする。そのため、子供たちに、勤労意欲がわいてこないし、作業をとおしての知というものが起こってこない。最近の教育は、作業という形のものがなくなってきた。作業学習からもたらされる教育の効果を考えてみることもたいせつである。

鈴木 現在の学校教育の現状をみた場合、物事についての理論・理屈を実感としてつかむことが欠けてきたように感じられる。例えば、ガラスみがきを実感として味わったり、四キロメートルを実際に歩いて道のりを実感として感じとらせていくことがたいせつであ

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。