教育福島0027号(1977年(S52)12月)-028page

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教育随想

 

グループの中で伸びるM子

 

佐藤富子

 

佐藤富子

 

M子は、少しも目立ったところのない静かな、ときには陰気な感じさえする女の子だった。授業中は、むだ話もしないかわりに発表もほとんどせず、じっと席に着いているという感じがした。

こんなM子を一学期間担任して私は(ひょっとしたらM子は、運動ぎらいなのでは……?)と思い始めた。考えてみると思い当たるふしが、次々に浮かんだ。運動会の日、百五十メートル走が近づくと脚が痛いからぬけたいと申し出た。宿泊訓練をした際にも、登山の日の朝、腹痛を訴え登らないでしまった。まだある。友達が大はしゃぎで泳いでいても、M子は、やれ頭が痛いの、腹が痛いのと言って、少しも入入ろうとしなかった。

このころから鈍感な私でも、少しおかしいなと思い始めた。そこでM子の一日の過ごし方をじっと観察してみた。するとM子の生活の中には、運動らしい動きがあまりないことがわかった。休み時間は室内で絵をかいたり、読書をしたりで静かに過ごしていた。動きらしいものといったら、掃除と給食当番の仕事ぐらいのものなのだ。これではいけない。なんとかしなければ……と思いつつも良案が浮かばぬままに一学期は終わってしまった。

私たちの学校は、「体力つくり推進校」として文部省より指定されている。先生がたは一丸となってこれに取り組み休み中も研修会を多く重ねた。高学年部では、学級のわくを外してグループを作り、放課後の三十分間を思いっ切り楽しく運動させようと話し合った。M子をここでなんとかしたいものだと考え、早く二学期になればよいと待った。

いよいよ二学期だ。みんな真っ黒に日焼けしているのに、M子だけは少しも日に焼けずに、相変らずじっと席に着いていた。

同学年の先生がたの協力をいただき自由にグループを編制させた。幸いM子は、比較的に仲の良いN子やS子のグループに加えられ、技能的にもM子と同じ程度の子が二人もいるので、これはいける、と内心思った。

初めは、ゴムとびとかバドミントンなど簡単なものばかりであったが、ある日、長なわで回旋とびをしようということになった。とたんにM子はいやな顔をしてぬけたそうな表情をした。それと察したN子やS子が、

「Mちゃん、だいじょうぶだよ。××ちゃんだってできないんだから。教えるよ。」といっしょうけんめい勧めた。私もなわ持ちになってまぜてもらった。M子はしかたなさそうに順番を待った。やがてM子の番になったが、なかなか調子がとれずに弧の中に入っていけないのだ。なわがこわくて入れないというので、N子が手を引いていっしょにとんでくれた。何回もくり返しているうちに、M子は一人で入ったりぬけたりできるようになった。みんなは、手をたたいて喜んでくれた。この日の感想に、M子は、

「勉強が終わってからやるということは苦手だが、でもおもしろかった。もっともっとおもしろい運動をしたい。」と書いている。

こんなことがあってから、M子は外に出ることをいやがらなくなった。グループ仲間に助けられ、支えられて馬とがもこわくなくなったし、竹馬にも乗れるようになった。最近の感想に、「とにかくおもしろい。友達同意で運動するのもいいと思った。」と書いている。

グループの力は偉大である。あんなに運動ぎらいだったM子を、運動好きにさせたばかりでなく、明るく元気な子に変身させてくれた。今やM子はチャイムと同時に外にとび出し、高鉄棒のグライダーとびにちょう戦中である。

(伊達町立伊達小学校教諭)

 

友だちと興じるM子

 

友だちと興じるM子

 

 

 


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