教育福島0027号(1977年(S52)12月)-029page

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教育随想

 

花と教育

 

穂積彦司

 

穂積彦司

 

新卒で着任して一か月もしたころであろうか。ある宿直の日の夕方、職員室の外で花だんの手入れをしている音がする。窓を開け、「やあ、御苦労さん。」と声をかけた。すると、「宿直たいへんだな。」という返事がもどってきた。私は聞きおぼえのある声に「はっ」とした。校長さんのあまりの変装ぶりに気づかなかったのである。内心、失敗したと思いながら外へ出た。

今、考えてみると、「花と教育」の出合いはこの時からはじまったような気がする。

二人で花だんの草むしりをしていると、校長さんが「君はまだ若いから、わからんだろうが……。子供の教育は花を育てるのとよく似ていると思うんだが。」そしてまた、「花を愛し、花を育てることのできない人は教育者としてはどうかな……」。と静かにおっしゃったのである。

翌年、私の学級の児童が、廊下で取っ組み合いのけんかをした。ちょうどその時、校長さんが通りかかった。校長さんは何も言わずにだまって後ろに立っていたそうである。後でそのことを本人から聞かされた。

それから十年ほど過ぎて、彼等の同級会に招かれたとき、二人はその時のことをしみじみ話してくれた。

O校長先生の教育理念が教え子たちによって明らかにされたような気がしてならない。

数年前の夏のことである。児童が丹精こめて手入れしたかいあって見事な花が咲いた。ところが、七月上旬から異状な晴天が続き水不足がひどく節水を余儀なくされた。

学校では夏休み中の動植物の飼育や手入れをどうするかについて児童会やクラブで相談をしていたときのことである。「水をくれないと花が枯れてしまう。」「水道の水が使われればなあ-。」「雨が降ってくれれば……」と。

当番の割当ては簡単に決ったが、水不足をどう解決するかで暗礁にのりあげてしまった。結局、下水のうわ水をバケツで運ぶことになった。じゃぐちをひねりホースで散水するような簡単なわけにはいかない。当番の人数を増やす、バケツを用意する、一輪車にのせて運ぶ、棒で二人でかつぐ、花がよごれないように花びらや葉にかけないようになど…。話がようやくまとまった。

 

花いろいろ,花おのおののてがらかな

 

花いろいろ,花おのおののてがらかな

 

私は相談している児童の真剣なまなざしや姿を見て涙の出るほど嬉しく思った。と同時に、この花をぜったいに枯らしてはいけないと思った。悪いと思いながらも朝四時ころ、人目をさけてそっと水道の水を何回かいただいたのである。

花の生命は児童の懸命な努力によって枯らさずにすむことができた。児童にとっては貴重な体験であったと思う。そして、花を見る目、育てることの喜びを味わうことができたであろうと思った。

卒業式の日、「皆さんの努力によってすばらしい花を咲かせることができました。そのやさしい気持ちと努力することのたいせつさをいつまでも忘れないでほしい。花だんや花畑は色とりどりの花が咲いていてはじめてその美しさがでるのである。皆さんは花と同じように自分の個性と特技をじゅうぶん生かせる人間になってほしい。」ということばが式辞の中で述べられた。

児童たちは何を思いだし、どんなことを考えたであろうか。

花を愛する心と、育てることのできる教師になれるよう心がけたいものである。

 

(小野町立夏井第一小学校教頭)

 

 

 


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