教育福島0027号(1977年(S52)12月)-040page

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図書館コーナー

 

現代人の学習と図書館

 

一、自主的な個人学習の高まり

現代人の学習行動を分類すると、

(1)日常生活のなかで学ぶ

(2)なんらかの学習機会に参加して学ぶ

(3)自らが集団をつくって学ぶ

(4)各種施設(設備、資料)を活用して学ぶ。

の四点になると考えられるが、今日特に注目せねばならないのは、生がいにわたって学び続けるという、継続学習の必要から、それまでの“集団学習中心型”のフォーマルな学習よりも、その多様性、自発性に特色をもつ非定型な“個人学習”が歓迎されてきたことであろう。時間的、空間的に固定された学習より“いつでも・みんなが・なんでも・どこででも”学べる個人学習のほうが--無論マイナス面もあるが--その自在性と融通性とにおいて忙しい現代人にマッチした学習形態であるというわけである。

 

巡回図書貸し出し風景(小野町)

 

巡回図書貸し出し風景(小野町)

 

ところで公共図書館は、読書グループの育成・援助、集会活動への場と資料の提供等々により“集団学習”への援助も積極的に行っているのであるが時間的・空間的な制約からこれらの集団に参加できない人々のためにも、あるいはあくまでも自主的な学習を進めようとする個人に対しても、さまざまなサービスを行っている。図書館法の第二条で、「図書館」とは、「図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供しその調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする」と規定しているが、先にみた現代人の学習形態の傾向=自主性・多様性を基調とした個人学習への広がりと、図書館のサービス活動がいかにマッチし、今日的課題である生がい教育にどのような役割を担いうるかを、その具体的な活動を通して検証してみたい。

二、資料の収集・整理・保存

マスコミの急速な発達は、ぼう大な量の情報を現代人の日常生活に押しつけてくる。たしかポール・ラングランの生がい教育論のなかにも「マスコミの活用」を論じた項があったとおもうが、画一化の弊害に陥らないためにも受手側の批判力の養成は、今日必須の学習要件の一つである。図書館はまさにこのような情報、資料洪水--単行本だけでも年間二万三千点が刊行される--のなかから、主として図書、記録資料を中心に、厳密な検討を経てそれを選択収集し、専門的な方法で組織化(整理・保存)する。この役割を、すでに一九三〇年代にスペインの高名な思想家オルテガは「社会的濾過器」としての図書館、と評しているが、今日ますますその重要性は増しているといえるであろう。

三、資料の提供

それまでの図書館は、ともすれば、保存、管理にウェイトをおく静的なものとして地域の中に静まりかえり、それを利用する人といえば、学生か一部の特殊な人々というイメージが強かったし、事実そのようなものとして存在してきたのであるが、現代の図書館は保存することよりも提供することにこそ重点がある。資料を求めるあらゆる人々に、資料を提供することが最大の任務である。そして単に資料要求にこたえるだけでなく、資料に対する要求を高め、広めるために、広報、自動車文庫などの活動もおこなう。予約・希望図書の受け付け制度を設け、利用者の求める資料は原則としてどのようなものでも提供する。もし求める資料情報がその図書館にない場合には、全国の協力組織網を通して”草の根を分けても“探し出し提供する。さらに、レファレンスサービスによって利用者の調査研究を援助し、学習の相談にも親身になって協力する。しかも、それらの利用はすべて「無料」とであるという点こそ強調せねばならないだろう。人種、性別、階層などによって差別することなく、すべての人々に平等にサービスするというこの理念こそ、「住民の学習権を保障する」ということの内実を支えるものである。「ユネスコ宣言」が、図書館を、住民の支持によって成立する、民生主義の必須の社会的機関である、とするゆえんである。そういえば、生がい教育体制の一環として、イギリスで放送大学(オープン・ユニバシティ)が具体化するときに、準備委員会は、英国図書館協会を通じて全国の公共図書館に協力を求めたといわれるが、まさに故なしとしない。

 

 

 


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