教育福島0028号(1978年(S53)01月)-022page

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教育随想

 

クラブ活動に思う

宇田恒雄

 

らない気ままな一年生で、どう処置したらよいか困っているということだった。

 

先日、放課後、職員室でスポーツクラブ顧問やクラス担任と長時間話し合っている生徒がいた。彼はクラブを退部したいと願いに来たが、その動機や理由がはっきりしないので承諾されなかった。私は下校の途中その担任から説明を聞くと、この生徒はスポーツの技量はあるが、毎日の練習はやりたがらない気ままな一年生で、どう処置したらよいか困っているということだった。

私も、過去において進学者の多い学校でクラス担任をしていたが、ある時母親から、子供がクラブ活動にこりすぎて、学業成績が下がって困ると訴えられたことがあったのを思い出した。クラブ活動の中でも、スポーツクラブは特に肉体的疲労が大きいうえに、日日の練習や合宿、試合出場等のために勉強に精が出ないことが多い。しかし文化クラブの活動も生徒会、新聞部、器楽合唱クラブ等、時期的に非常に忙しいものもある。いずれにしても学習時間に食い込むことには変わりない。しかし、クラブ活動が生徒会活動とともに、教科以外の教育活動として認められている限り、これと正規の授業との関係がいつも問題になるのは当然であろう。

私が前の勤務校で受持った生徒の中に、三年間何のクラブにも入らず、クラスの委員にもならず、修学旅行にも参加しないで、ただ教室の授業だけを受けた一風変わった生徒がいた。学業成績はよかったので高校卒業の年に、一流大学に合格したが、彼はあとでこんなことを嘆いたのを憶えている。三年間の高校生活を顧みると、ただ、夢中になって勉強するために通学し、大学には入れたが、自分には心から話し合える真の友人や、スポーツ仲間がいなくて寂しい生活だったと、感想をもらしたのである。

これは一例にすぎないが、その他昔の教え子たちの現在の活躍ぶりを見ると、様々なタイプが見られるが、必ずしも教室での学業成績は社会の第一線での活躍とは比例しておらず、むしろその逆の場合もかなり多いことに気がつく。このことからでも、学業成績は人間能力の一部分しか表わしていないことがわかるし、全人的な能力こそ、実社会における活動の根源となるのである。クラブ活動にこって母を嘆かせた生徒も、趣味がそのまま生かされて職業と結びついた例もあるし、また反対にクラブに熱中しすぎて成績が下がり、悪影響を受けた例も無いわけではない。要するに、問題はクラブ活動と学業とをどのように両立させていくかどこにウエイトを置き、どこに一線を画するかであろう。

 

友情とチームワークが育つクラブ活動

 

友情とチームワークが育つクラブ活動

 

高校時代のスポーツ選手で、成績もよく社会で成功した者も多数いる。なるほど彼らには基礎学力はあったが、それにもまして彼らは鋭い注意力を持ち、授業時間をフルに活用し、更に勉強時間とスポーツの時間とを割り切りそれに順応してゆく態度を示したといっても過言ではなかろう。クラブ活動は学校生活における重要な一面であって、友情や社会問題について語り合った話は、人間形成に大きく役立つものである。クラブ活動でうまれた友情やチームワークの貴さは、実社会での活動の大きな基盤となるであろう。

これからの高校教育の新しい構想として、「人間性豊かな生徒を育てること。」が取り上げられているが、知育、徳育、体育ともに発達した心身の健全な、人間性豊かな生徒を育成することを目指して指導すれば、自分で考える力が足りなかったり、強じんな意志の乏しい生徒をなくすることが出来よう。

(福島県立平工業高等学校教諭)

 

 

 


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