教育福島0030号(1978年(S53)04月)-035page
友情の中ではぐくまれたY男
徳江祐子
一日のスケジュールから解放され、ほっとして湯につかっていた。十時をちょっとまわったころである。突然、静けさを破って電話が鳴り響いた。あわててふろからあがり受話器をとると「先生ですか。あっ、起きていてよかった。遅くなってしまったので、もう寝てしまったかとも思ったが、急に先生の声が聞きたくなったので…」というはずんだ声。上野の中華料理店に勤めたY男からの電話である。就職して一週間後、懐かしげによこした最初の電話から数えて五度目の電話であった。今では、なんとか都会生活にも慣れ、同僚とのつきあいや仕事の手順も身につきがんばっているという、いきいきした報告である。
三年前、クラス替えによって、はじめて出会ったY男からは、どうしても想像のつかない姿であった。若いということは、こうも可能性を秘めたものかといまさらのように驚かされる。
思えば、二年生になっての一学期間いつもおどおどして、なにかたずねても友達の助けをかりなければ自分の考えを満足に伝えることもできない主体性のないひ弱なY男に、何度かとまどいあせったものだ。幼児期に大病をわずらい、危うく命をとりとめて以来、両親の甘やかしも手伝ってか、身体は大きく、すぐれた運動神経をもちながらも、体育時やクラブ活動で、それらの能力をじゅうぶん発揮するだけの精神力が伴わない。
そんなY男が、三年生になっての五月、校内陸上大会の高跳びで、好記録による優勝をかちとった。いやがるY男を励まし、選手として出場させるまでの友人の努力、そして大会当日、緊張し切ってかたくなっているY男のそばに、つきっきりで応援した友人の姿そんなものが彼に大きな自信をもたせた。賞状を手にしたときのY男の喜びと自信に満ちた顔、今までには全く見られなかった笑顔であった。
卒業を間近にして、Y男にも進路決定がせまられ、数回にわたる対話によって中華料理店が選ばれた。
高校入試を終えた級友たちは、少しずつお金を集めて買った贈り物を持ってS宅に集まり、送別会を開いた。級友の大半が集まり窮屈ながらも、まごころのこもった会であった。
放課後のひとときの対話
いよいよ出発の日、男女合わせた十数名がS駅のホームにそろった。発車まぎわのY男にそれぞれ励ましの言葉をおくっている。Y男の目に涙が光った。見えなくなるまで、手を振りあい送る者、送られる者が一体となった姿の中で、私の顔も涙でくしゃくしゃにくずれた。
あれから一年、すっかり大人びた声をききながら、感無量であった。そして電話の中で誕生祝いをもって友人が訪れてくれたことも知った。山の中の小さな部落から都会のどまん中に出てあのひ弱だったY男が、このようにたくましく生きぬいているのも陰にこうした友情があったればこそではないだろうか。縦のつながりよりも横のつながりをたいせつにするこの時期の生徒たちにとって、どんな教師の名言より友情が大きな支えになることか。友情によって温かく包まれた学級づくり、それは私たち教師の誰もがもつ願いであり課題でもある。
生活日記の交換、教育相談等もさることながら、私に教えてくれたものは昼休みや放課後のひとときの対話である。そして、対話の底流となるものは、生徒を心から愛する気持ちであることも。
個々のもつ可能性を友情という一つの人間的なふれあいの中で育てていくことのできるような学級づくりをねらってきた私にとって、Y男との出あいはいつまでも忘れられない思い出の一つである。
(塙町立塙中学校教諭)