教育福島0030号(1978年(S53)04月)-036page

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雄々しく、さわやかな子らとの出会い

 

酒井不二男

 

酒井不二男

 

若松の市内ではさわやかな春風が吹き、街を行く人々はコートを脱いでかろやかに歩いているころ、道路の両側には一メートルにも及ぶ残雪が見られ校庭のまん中には、ブルドーザーがどっかと止っている西山中学校に赴任した。

一階の窓には、雪よけ用のがん丈な角材と、ぶ厚い板でこしらえた枠がとりつけられており、校舎内は少しうす暗い感じであった。しかし、私を迎えてくださった校長先生をはじめ、諸先生がたの温かいまなざしと笑顔に救われる思いがした。そしてなににもましてうれしかったのは、車より降り立ったとたん「にんにちは。」と明るくはずんだ数人の生徒たちからの元気なあいさつであった。それが、たいへんな所だなというそれまでの思いを吹き飛ばしてくれた。

着任以来短時日であるが、生徒たちとのすばらしい出会いを持つことができた。みぞれまじりの雨を気にする様子もなく元気いっぱい登下校する生徒。部活動で汗を流した後、雪どけで水だまりやぬかるみのある山あい数キ口の道を、友と語らいながら家路をたどる生徒。授業中かぜのため熱を出し保健室のベッドに寝ている級友のために休み時間のたびごとに、手のしびれそうな水でタオルをしぼり、看護にあたっている生徒。学ぶことに喜びを感じ友達を思う温かい心を持つ生徒たちである。

ある朝のこと、急な坂道を一冊の本を持って懸命にかけのぼっていく男子生徒を見つけ、車で追いつき、「どうした、乗らないか。」と声をかけると、息をはずませながら、「すみません、お願いします。」と乗り込んできた。訳をたずねると、うっかりして時間割を見まちがえ数学の教科書を忘れたので取りにもどったとのこと。これが、町の生徒なら電話をして家の人に届けてもらうであろうに、そうしなかったのはどうしてか、と聞くと「そんなことはできない。家の人だって忙しいし、自分が悪いのだから、自分で取りにもどるのが当然です。」というさわやかな答えが返ってきた。また、寄宿舎があり入舎生が三十余名もいると聞いたので、退勤途中にたち寄ってみた。

 

この子らとの出会いをたいせつに

 

この子らとの出会いをたいせつに

 

いっしょうけんめい部屋を掃除している生徒。水道で弁当箱を洗っている生徒。「きょうは給食がないので弁当だったが、おいしかった?」とたずねると「うん、かあちゃんのつくってくれるのと同じくらい」と元気に答え、ニッコリ笑った学生服がもう一つピッタリしない幼さがいっぱいの新入生。家族と離れて生活している寂しさなど感じさせないけなげな態度に、思わず胸がジーンと熱くなり「元気でがんばるんだよ。」と言うのがやっとのことであった。

放課後に、廊下や教室、あるいは相談室等で生徒と接する機会を見つけて彼らの家族構成や家庭での役割、将来の進路や休日の生活などについて聞くことにしている。

「イワナつりはまだはやいかな。」「うん、少しはやい。」「案内してくれないか。」「うん、いいよ。つれる川知ってっから。」生徒は気軽に答え、そぼくに反応してくれる。このような機会に個々の特性を知り、可能性を見いだす手がかりを見つけ、生徒を理解し生徒と教師の人間的なふれあいの場としたいと思う。

いつであったか、教育にへき地はないという言葉を聞いたことを思い出した。むしろ当校のような小規模校にこそ生徒との心のふれあいは多くあると思う。

この子らとの出会いをたいせつにしていきたい。すがすがしく、雄々しく、たくましい力を持ち、他人へのあたたかい思いやりのある生徒を一人でも多く育てることができたら、そこに本当の教育があるのではないかと思う。そのために彼らへの援助の手を少しでも多くと考えている今日このごろである。

(柳津町立西山中学校教諭)

 

 

 


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