教育福島0031号(1978年(S53)06月)-010page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

かったことになるとの謙虚な反省がなされるべきであろう。

学級や学校集団から脱落していく子供に対しては、教科における個別指導以上に個々にはたらきかけるべきものがあるであろう。教科における個別指導は、その子の能力に応じてなされるのが一般的であるが、生徒指導における個別指導は、子供の生き方を決定している諸因子に応じてなされなければならない。すなわち、その子の生育歴家庭環境、友人関係等によって決定された性格や考え方、行動様式は一人一人異なるものである。全体いっせい指導で指導したつもりでも、おちこぼれていく子どもにとっては、その指導が適切でない場合が多い。従って生徒指導は、全体指導ですまされる場合もあるが、要は一人一人の心にくい込んでいく個別指導がきめ手となる。

個別指導といっても、全体指導のような発想で問題傾向を持つ子に接して教師が一方的に言い聞かせたり語りかけても、あまり効果は期待できない。特に問題の根が深い子供に対しての個別指導においては、指導してやろうとか徹底的になおしてやろうと気負い込めばこむほど、指導者の意図が受け入れられず手こずるものである。

集団場面での指導からどうしてもはみ出し、おちこぼれていく子に対しては、適切な教育相談によって、その子の問題にせまっていくべきであろう。以前から教育相談の充実が強調されてきたのも、実はこの辺にあるのであろう。

 

二、 学校教育相談の意義

 

(一) 教師すべてがカウンセラーに

行動や情緒の異常障害、すなわち不適応の徴候は早期に発見し、治療することが必要である。学校教育相談においても当然大きな障害を起こしそうな子供を早期発見、早期治療することが必要であるが、このことにとどまらず教育相談はすべての児童生徒に対して行わなければならない。それは、民主社会の市民として身につけなければならない自主的・自律的人格の育成、教育目標を達成するための有力な方法として、大きな役割をもっているからである。「すべての教師がカウンセラーに」といわれるのも、それなりの意味をもつものである。

(二) 教育相談の二面性

教育相談には、人間開発的(教育的)カウンセリングと治療的カウンセリングがあげられるが、学校教育相談においては、特に前者に重点がおかれるであろう。例えば、友人関係、進路選択青年期におくる人生観の確立、親からの心理的独立、異性問題、価値判断のかっとう等、自我の社会化を意図するきわめて教育的カウンセリング活動である。カウンセリングの本質は、人間の主体性、独自性、創造性の育成であり、又は回復でありそれらの成長発達にかかわるものであるから、治療や適応ということよりももっと教育の本質にせまるものである。ある意味では教育そのものであると言えよう。

(三) 学校カウンセリングの限界

人間開発的カウンセリングは、積極的に進められなければならないが、治療的カウンセリングについては、おのずと限界のあることを前提として取り組む必要がある。最近急激に増加をみせている心因性の問題行動に対する解釈、診断、治療等の専門的な知識・技能を教師に要求することは無理であろう。といっても門外漢ですまされるものでもない。不適応行動や初期的段階で発見できた異常行動や軽度の精神的な障害等は、ある程度基礎的な知識があれば治療可能なものである。複雑な問題については、専門機関に依頼することが無難であるし、子供にとっても救いでもある。カウンセラーはもちろん教師にとって必要なことは、複雑な問題の診断・解決を専門機関に依頼するか否かを決定するとっさの判断であろう。

次に最近とみに増加をみせている登校拒否の事例を紹介して、登校拒否児の特色、心理のメカニズム、それに対する対処の方法等の理解に供したい。

 

三、 登校拒否児の指導事例

 

〈中学二年 男子S〉

〈症状〉中学二年第二学期の二日目より登校拒否。母親に乱暴をはたらく。

特に食事に対して無理な注文をしたり不満を言う。ふだんは昼ころまでねていて、午後からふとんの中に入ってレーシングカーの専門書を読んでいる。生活は昼と夜が逆転。学校に関することをちょっとでも言うと気が狂ったように乱暴になるが、きげんのよい日は「たいくつで何をしてよいかわからない。」と言う。

〈家庭環境〉父母とSの三人の家族構成。父は会社役員で現在他県へ単身赴任。母は物静かで近所づきあいは少ない。Sの兄は小児まひで十三歳で死亡。

〈生育歴〉正常産、混合栄養。母は小児まひの兄にかかりきり。Sも兄思いのところがあった。幼稚園時代は元気そのもので足の骨を折る大きな事故を起こす。それ以来、母はSの行動に神経をつかい、行動を制約するようになる。

〈学校歴〉小学校時代、友達が多く順調な生活。運動は万能でリレーの選手で活躍。六年生のとき父の転勤でH県へ転校。このころ次第に明るさを失いはじめる。中学校時代、K大中等部に入学、野球部に入る。二年のときクラス替えで野球部の友人がクラスにいなくなり、新しい学級に不満をもつ。夏休みの野球部の合宿に参加せず。二学期の始業式には出席したが、次の日から欠席。成績は上の中。

〈相談・治療〉

1) 治療方針

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。