教育福島0031号(1978年(S53)06月)-029page
教育随想
幼児とのふれあい
渡辺キミ子
あるとき、私は、「先生どんなとき勉強したいと感じられますか。」ときかれて、そのとき、「子供たちとのふれあいのなかで感じます。」といった記憶があります。
音楽リズム研究会で、お互いに知らない幼児にリズム表現を指導したことがあります。研究会ですから、おおぜいの保育者が見ており、心臓がドキドキしてきて、ほんとうに困ってしまいました。ふだんの保育の流れと異なり、お互いにはじめての子供たち、私も初対面、これでやれるかなと心配していました。ところが、表現あそびがすすむにつれて、子供たちの発想や、予期していた以上の豊かなイメージ、子供たちの着想のすばらしさがとびだしてきて、はじめの懸念をふきとばしてくれました。子供たちの夢いっぱいの表現につられいつの間にか私自身、心がはずみ楽しくなっていました。
授業が終ってほっとすると同時に、子供たちのすばらしさをあらためて発見してうれしくてなりませんでした。
このような子供たちのふれあいの中で、子供たちの、そのときどきのすばらしさを発見し更にそれを伸ばしてやるため、保育者自身が成長し、豊かな観察の目をもった保育者にならなければならないと思います。
子供たちに語りかける技術をどうするかということ以前に、子供たちの中にとけこんでいく姿勢のたいせつさもそこにあります。
この研究会では、初対面という特別な条件にありながら、それが終ったあとに、「ああよかった。」と感じられたのは、その指導のプロセスの中でほんとうに子供たちの心にふれたよろこびがあったからだと思います。
こうした子供たちのふれあいのなかにこそ保育者みずからを成長させる基盤があるのではないでしょうか。
また、一人一人の幼児に接するとき、何歳児はこうだという固定した幼児像をえがいて、ワクにあてはめて見るのではなく、生き生きとした一人一人をたいせつにする指導観を保育者自身持っていなければならないと思います。こうした子供の観察ができるように園児一人一人の動きや、つぶやき程度の発言にも目のとどく心の働きが必要だと思います。
楽しいリトミックあそび
幼稚園における子供たちの生活は、リズム的な活動が中心になっており、その活動をぬきにした生活は考えられない。子供たちの自由あそびを観察していても、非常に自由であり、活発であり、個性が如実に表れ、目はいきいきと輝いています。遊びに熱中しているとき、もっとも子供らしい顔つきが表れています。その動き一つ一つにはおとなにはわからない物語りがかくされています。また子供たちの芽を発見し育てることが保育者自身の重要な視点ともなります。
「子供は、あそびの天才である。」
私は、毎日の子供たちとのふれあいをたいせつにし、そこから学びとり、自分自身を豊かに築いていく唯一の研究の場とするように心がけたいと思っています。
いろいろな機会をとらえて、お互いに経験を交流し「教えるということは学ぶこと」であることを信条とし、現在の教育界の問題として要望されている真の「ゆとり」と「充実」を追求しながら、愛情と情熱をわかし、しつけはきびしく、だれからも信頼される教師を目指して努力していきたいと思う、今日このごろであります。
(いわき市立内町幼稚園)