教育福島0032号(1978年(S53)07月)-026page
ずいそう
教師道を思う-専精と所化-
深谷健
吉田松陰先生の「講孟余話」に、にわとりが卵をかえす姿を見ての感想がのべてある。
「余このごろ一母鶏として七箇の卵を育てしむ。初め伏してより今すでに十五六日、たいてい両日間一度栖をいでて水少しばかりのみ、米粒少しばかり食よ(う)のみ。その他昼夜となく少しも放過せず。その専精かくのごとし。余必ずその生ずるところあるを期す。
士大夫道にこころざし、誠によく伏鶏の卵を育するがごときを得ば、又何ぞその生ずることなきを夏へ(え)む(ん)。」
松陰先生の教育に対する至情が胸にしみこむ思いがするではないか。そしてこの鶏のように、努力し養育すれば必ず。成果をおさめることができるであろう。また、成果をおさめることができないとしても、誠心誠意努力精進するその行為そのものに価値があるという言葉は先生の教育観を端的に表明しているように思うのである。「専精」の一言に先生のひたむきな、純粋な生き方を思うのである。
教育の真諦は、子供の才能が地熱が地球の地底から尽きることなく燃え出るように、新たに開発され、新たな生命を得て、新たなものが生れることを信じ、その生れいずるまでの苦しみと悩みを、ともに苦しみともに悩み、ともに解決する過程の中にある。卵をかえす親どりのように専精これつとめる教師によれて子供の心が燃え、よし自分もやろうと内なるものが目覚める。
禅家では弟子のことを「所化」という。おのずと師の欲するところに化し、師の望むところへ進むようになるのでこの言葉が出たのだという味わい深い言葉である。
子供たちを、真の意味で「所化」にするためには、まず子供の胸に「可能の信念」とその方法を吹きこむことが教師の義務であろう。可能の信念とは、多くの人にできることが自分にだけできないはずはない、努力すれば必ずできるという信念である。「俺にもできる。」という自信である。それには、教師の温かい言葉が必要である。温かい言葉は、甘い言葉ではない。子供に対する教師の温かさは、その子供に対する教師の理解の深さである。自分の受け持ちの子供をこうしたいという教師の熱情のあらわれである。「切に思うことは必ず遂ぐるなり。切に思う心深ければ、必ず方便もいでくる様あるべし。」とは道元の言葉であるが、心にくっきりとしたあるイメージを描き、具体的な願いを持ち続け、それを激しく願い続けているとやがて現象として実現してくるものである。「所化」は、こうした教師の願いの結晶したものといえるであろう。この願いがあればこそ、「愛語よく回天の力あり」という道元禅師の力強い宣言が生れるのである。
教師の子供にかける願いがうすくかぼそく、先例にのみ頼る姿をマンネリという。われらはいま学校教育が生がい教育という観点から根本的に問いなおされ、ゆとりと充実した学校生活をかわいい「所化」たちに送らせることが求められている。もはや、マンネリの世界に生きることはゆるされない。真の学校のあり方を追究し、日々新たな道を発見していかなければならない。
そのためには、水源地の高さまで水道の蛇口の水は出るように、教師自身の力を高めることが先決である。子供は、教師の高さまで高まるものである。そして、教師が自己を高めようと努力している姿が、子供たちに大きな尊い教育(感化)になっていることを思うとき、自らを省みることを更にきびしくせねばならないであろう。教育は、自分以外の者を告発する姿勢から生れるものではなく、自己のみにくさ、自己のたらざる点に暗たんとするときにはじめて、その道がかすかに見えるものなのである。
松陰先生の読書からもまた自己を高める必要性を教えられる。先生が安政二年中に読破された冊数は、一月三十六冊、二月四十四冊、三月四十八冊、四月四十九冊、五月三十五冊、六月四十四冊、七月四十七冊、八月四十二冊、九月二十九冊、十月三十三冊、十一月四十五冊、十二月四十冊、計四百九十二冊の多きを数え、安政三年は五百五冊、安政四年には三百八十七冊にのぼる。ああ、松下村塾の教育の基盤は先生のこの専精にあったのである。
(白河市教育長)