教育福島0032号(1978年(S53)07月)-027page

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ずいそう

 

可能性を信じて

 

宮内光子

 

宮内光子

 

私は、本校に転勤して新設された特殊学級を担任し、早四年めを迎えました。

入級児童たちに、生活することへの意欲と自信を持たせることを中心課題として、全職員共通理解のもとに指導を進めております。

それにしても、卒業生を中学校へ送り、新たな入級児童を迎え、年々メンバーの変るなかで、変わりのないのは「これでよいのだろうか。」という迷いと不安が常につきまとっていることです。

講習会や研究会等で、キャリアのある先生や、十年以上も担任されている先輩のかたがたも同じ悩みを持っていることを耳にするとき、十人十色といわれる個人差のある児童の教育のむずかしさを、ひしひしと感じさせられています。この道の若輩である私には、諸先生がたの話の一つ一つは、ある時は心の支え・糧となり、またあるときは、きびしい批判となり、自責の念におそわれ、三号一夏の生活というところです。

悩みを持ちながらも、児童がやがて社会の一員として、他人に迷惑をかけず、社会の人々とともに生きていく人間に育つことを願い、児童一人一人の実態をじゅうぶんには握し、自分なりに懸命に分析、診断し、指導してみて、児童に、伸びる可能性のあることを教えられました。

私の受け持った七人の児童は、どの子も算数ぎらいの子でした。それが特徴といえるかもしれません。算数で自信を持たせようと、乗法九九を覚えさせることにし、児童と話し合い、早速始めました。「先生、おぼえたよ。」と、かつての担任に聞かせに行く子、学校巡視をしている学校長へ進度を見せる子等々。そして、一学期が終わるころには、一人を残して全部覚え、これをきっかけに、児童たちは算数が好きになりました。そして「この計算のしかた教えてください。」「もっとむずかしいのを教えて。」と、意欲的になり、ひとり勉強もこのころから始まりました。

それから二か月ほどたったある日のことです。一冊の本にはさんであった0点のプリントを見つけ、目の色を変えて計算し始めたK君は「点数つけて。」と持ってきました。K君は、赤鉛筆を走らせる私の指先をじっと見ていましたが、終るやいなや「やった。」といって、教室をとびまわりました。K君は、ますますファイトをもやして、自転車乗りができるようになったのも、普通学級の友達と、早朝、キャッチボールをするようになったのも、このころからでした。

びっくりするようなことが、またおこったのは、最後のクリスマス会がもたれる数日前のことでした。

「先生に、いいプレゼントするから、楽しみにしていっせ。きっと喜ぶよ。」当日、きれいな紙に包み、ピンクのリボンをかけた箱が手渡されました。

「早くあけてみ。」

「わあ、すばらしい。」

タバコのあき袋で作った傘二つ。不器用なK君が作ったとは信じられないほどすばらしいものでした。親子合同のクリスマス会だったので、ともどもに感動させられました。

それをきっかけに、自分の内職の細かい仕事を手伝わせ、親子の心のふれあいや働くことのたいせつさを経験させる生活にしようという親の前向きの姿勢ができたのも収穫の一つでした。

これらの児童との生活を通じて、私は「教育の営み」の原点にふれる思いがしております。児童の持つ多様な可能性をじゅうぶんに開花させていくところに、当人の喜びがあり、自信につながることを感じます。そして、そのような喜びと自信が他の面の学習の原動力になることを信じています。

(喜多方市立第二小学校教諭)

 

「喜びから自信へ」の授業

「喜びから自信へ」の授業

 

 

 


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