教育福島0032号(1978年(S53)07月)-028page
ずいそう
一人はみんなのためにみんなは一人のために
長谷川次男
バレーボールを通して中学生を指導する場合、基本的な個人技能や、集団技能などの技術面よりも精神的なものを重視した指導、すなわちバレーボールの精神というものを学びとらせることに力を入れ、そのため「部の心得」をつくり、中学生らしい選手・中学生らしい態度・中学生らしいプレーをめざし、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を合い言葉に練習に励ませた。
指導の中心は連帯意識の現れであるあいさつの徹底である。「はい」「お願いします」「ありがとうございます」「すみません」などのあいさつを練習、試合ではもちろんのこと日常生活の中に生かし、自然に心からあいさつできるようにすることと、一つのことに打ちこむ生きがいや苦しみとはどんなものなのかを知り、何をやるにしても自分の力をせいいっぱい発揮して努力し、感激を味わわせることであった。
スポーツには勝ち負けがあり、結果も大事であるが、それ以上に過程(練習)がどのようであったかの方がたいせつなのではないだろうか。
「練習も試合も同じ気持ちで」、「気合いの入った練習」をモットーに、毎日休みなく行い、からだが小さかったり、技術が下手でも毎日練習に出てくるものを練習や試合で使ってやったことが生徒にとって大きな励みとなったようだ。
チーム一の好レシーバーで補助アタッカーとして活躍したM子の作文に次のようなことが記されてあった。
「私は背が低かったので、毎日練習に出た。練習はきびしく、つらかった。特にスパークが入らないとみんなにおいてきぼりにされそうでとても不安だった。『もう少し身長が、あればなあ』と、家に帰ってから何度も悩み、泣きながらねむってしまったことがあったが、みんなの励ましで練習を休まなかったおかげで選手になれた。」
毎日三時間半の練習、また練習の連続である。むずかしいボールを懸命に追いかけてレシーブし、汗と涙でびっしりになってプレーする選手にせいいっぱいプレーしてもらおうと用具の準備をし、ボール拾いをするマネージャー、下級生。そのひたむきな姿。
真剣なまなざし、歯をくいしばってがんばる顔などは、つらい、きびしい練習の中から生まれてくるものではないだろうか。
三月の末、新キャプテンになったH子から一通の手紙をもらった。
「私はバレーボール部に入って学んだことは、チームプレー、チームワークのたいせつさと何事をやるにも根性と忍耐力が必要であるということです。
あるとき、先生に『一人一人はみんなのために、みんなは一人のために』という言葉を教えてもらいました。私はこれがチームワークにつながるのではないかと思いました。練習や試合で一人のレシーブミスをみんなで追いかけて拾い、相手チームに返す。また先生との一対一レシーブの時、まわりのみんなで声をかけあい、励ましあいながらがんばる。これがまさに言葉の意味になるのではないでしょうか。私はこの言葉のおかげで連帯感のたいせつさを知りました。」
一人一人が、バレーボールの練習の中で「一人はみんなのために、みんなは一人のために」自分は何をすべきかを知り、これからの人間形成に必要なものを見うけ出せばうれしい。
(田島町立檜沢中学校教諭)
さあ、今日も気合いを入れていこう