教育福島0032号(1978年(S53)07月)-029page

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ずいそう

 

戸惑いのなかから

 

高野雅子

 

高野雅子

 

この春、三年間勤めた比曽の地をあとにして本校に転任して来たが、今までに少人数の学校に慣れてきた私にとって里の学校は大きく感じられなんとなく不安が先に立つ心境であった。

担任は五年生で三十八名。明るく元気のよい子供たちとの出会いに不安も消しとんで「私もがんばらなければ。」と決意も新たにスタートしたのだったが、日がたつにつれ、朝、教室への足どりが重くなりはじめた。それは教師の意図する高学年の姿とはほど遠く、中学年気分の抜けきれないにぎやかな子供たちに「静かにしなさい。」「五年生にもなってなんですか。」と叱り言葉を連発する毎日に、自分ながらいや気がさしてきたからである。

昨年度はわずか十名の二年生を担任していたとはいえ、長い教職経験を持ちながら二十八名の学級をまとめることのできない自分が無性に腹立たしく情なく、そしてあせりが先に立った。「何に原因があるのか。」と戸惑う心をしずめ、じっと冷静に自分を見つめたとき、私の心を去来するなにものかがあった。「叱るだけでは、心のふれ合いは生まれない。」と-。学級づくりは一朝一夕にできるものではなく誠意さえあれば必ず時が解決するのだからあせってはいけない。それよりもまず子供との対話が必要なのだと気づいたのである。

そこで、まだ自己本位の気分が残る子供たちに「人の立場を考えるやさしい心」「なんでも話し合える教室」という目あてを持たせ、グループ作りに取りかかった。更に連帯感を養うためにグループ日誌も取り入れることにした。「なんでも話そう日記」と銘うって。

それからは机上に届けられるノートにひまをみて少しでも詳しく返事を書きグループに返してやる。赤ペンの字を食い入るように見つめる子供、バンザイをして手をたたく子供たち。その反応が思ったより大きく、こうしたやり取りのなかに子供との対話の糸口をつかめた思いがしてうれしかった。ほほえましいこと。考えさせたいこと。ぜひ紹介したいことなど、のがさず帰りの会にに取り上げて賞揚してやり、賞状もグループごとに与えてやることにしていった。

"一人はみんなのために、みんなは一人のために"の合い言葉で。

それから少しずつではあるが子供たちの態度に変容が表れてきた。掃除をまじめにやれなかったT君、S君が注意されなくなった。わずか五名の班員で教室清掃を時間内にきちんと仕上げるなど、それは何日か前まで考えられなかった姿であった。

「今日の五時間目、先生が出張でいなかったけれどとてもよかったですよ。教頭先生がみえたとき、みんながあまり静かに勉強していたので『五年生、あんまり静かなのでどこかに行ってしまったのかと思った。』とほめられました。」

「私たちのグループは、みんなとてもよく働くんですよ。(中略)でも言葉づかいがよくありません。それで言葉づかいに気をつけようってみんなで約束しました。先生みててください。」

グループ日記を始めてから一か月余り、こんな語りかけがみられ、ときには「どう思いますか。」「こんなことどうですか。」と問いかけや意見を述べてくれるようにもなった。

五年生の発足からまだ日が浅く、これから努力しなければならないことが数多い現在であるが、この問いかけに答え、意見を尊重し、子供とともに考えてよく努力している昨今である。

「教師は子供を選ぶことができても子供は教師を選ぶことができない。」そのためにも担任しているこの子らの成長を信じながら、心のふれ合いをたいせつにしていきたいと思っている。

(浪江町立大堀小学校教諭)

 

活発に意見をのべ合うグループ学習

活発に意見をのべ合うグループ学習

 

 

 


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