教育福島0033号(1978年(S53)08月)-024page

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ずいそう

先生は子供の友達

 

渡辺弘子

 

渡辺弘子

 

先生は子供たちのお母さんだろうか。それとも子供の友達だろうか。もう二十年も前のことになる。教生時代私は担任の先生から幼稚園の先生は、園においては子供たちの母親になりきって相手をしなければならないと教えられた。四月になって新米教師になったその日、あどけない表情のおおぜいの子供たちを前に、私は「今日から先生は、みんなのお母さんですよ。困ったことがあったらなんでも聞いたり、いったりしてね。」と話しかけた。

しかし、本当に子供は教師に母親の姿を求めているのだろうか。教師になって数年後におきたある事件とその後の園内の研修会で、このことに私なりの結論をみつけることができた。

勤務を終え、帰宅して夕食を食べようとしていたとき、小学校の宿直の先生から電話がかかってきた。幼稚園児が先生を訪ねて幼稚園に来て、園のまわりをウロウロしているので職員室に連れてきている。すぐ来てくださいということであった。その子はN男であった。幼稚園にいるときのN男は特に先生にまつわりついたりする子ではなく、元気に友達と遊びまわっているいたずら坊主である。どういう事なのか訳のわからぬままタクシーで小学校にかけつけると、玄関前に宿直の先生と、先生の手をしっかり握って私を待っているN男が立っていた。簡単に状況を聞いて、待たせておいたタクシーにのってから、N男から話を聞いた。それによるとN男は幼稚園から家に帰り、それから友達の家に遊びに行った。夕方家に帰って来ると母親が留守で、家には鍵までかけられてあった。N男は困りはて、先生の家は幼稚園だと思って幼稚園に行けば先生にあえると考えたそうである。翌日N男の母親からの話でもお母さんの次が先生だから幼稚園に先生を訪ねていけば、どうにかなるだろうと思って行ったのだと聞かされた。

 

楽しいブロック製作

 

楽しいブロック製作

 

七、八年前の園内での研修会で若い先生から、″先生とお友達″(作詩吉岡治・作曲越部信義)の歌を歌うと子供たちはとても喜び笑顔になって歌うという話を聞いた。この歌は八小節の短い歌である。早速私も子供たちに指導した。本当にうれしそうに安心した表情で歌い合っている。この歌を覚えてから四月の入園式の次の日には子供たちにこの歌を教え、いっしょに歌って一人一人と握手をしてお互いに心と心を開き合えるように努力した。

N男のことや、この短い歌などから教師は母親の心を持って子供に接しなければならないことは当然であるが先生を母親と同じであると思うように要求することよりも、最も信頼できる友達であることを膚で感じてもらえるようにならなければならないと思ったのである。

つい最近の話である。M子は生後九か月目から事情があって両親の下から祖父母に引きとられ、三歳になって保育所に入り、今年四月から当幼稚園に入園して来た子供である。祖父母の心配は両親に育てられた子供と違っていないか、不足はないかとそればかりであったそうである。祖父は保育所の送り迎えのときにM子が話すことばで「子供はこんな風に物を感じるのか、こんな気持ちを持つものか、こんな小さな子供でもこんなことを考えているのか」と毎日が楽しみであり、驚きであったという。初めの不安も、子供と話すことによって子供を知り、不安も薄らいでいったという。M子の祖父の話を聞いて胸がしめつけられるような目がしらの熱くなるのを感じた。私も、 一人一人の子供の話に耳を傾け、じっくり聞いてやり、最も信頼される友達理解者になるよう努力していきたいと思っている。

 

(福島市立渡利幼稚園教諭)

 

 

 


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