教育福島0033号(1978年(S53)08月)-025page

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ずいそう

新任教員のねがい

 

小浜伸

 

小浜伸

 

この四月、大きな期待と不安との交錯した思いで、私は奥川小学校に赴任した。四月というのに、校庭には、子供がかくれるほどの雪の多い弥平四郎分校の二、三年生、計五名を担任することになった。

分校というのも、複式というのも初めてで、迫りくる不安は計り知れなかった。しかし、それを払しょくしてくれたのが、十のひとみの新鮮で明るく、人なつっこい児童と校長先生をはじめとする先輩の先生がたの温かいまなざしであった。また、土地に対する不安は、地域の人々の心の温かさに触れ、しだいに解消されていった。この学校での競争相手は五名の子供たちだ。「よし、がんばろう。精いっぱいやってみよう。」こうして、新任教員としてのスタートをきった。

まず最初に考えたのは、子供たちと仲良しになることである。毎日の授業や、休憩時間、放課後と機会を見つけては、声をかけていった。すると、子供たちは心の窓をどんどん開いてくる。夕暮迫る職員室に子供が「先生。」と息を切らして飛び込んでくる。何事かと思うと、家での小さなできごとや遊びのことなどをうれしそうに話しかけてくる。こちらからも声をかけてやると、喜んで、またいろいろ話をしてくれる。本当に心が休まり、一日の疲労が吹き飛んでしまう。そうだ、教育効果を上げるには、教師と児童の人間関係をよくすることが重要なのだ。

 

体育館でのダンス

 

体育館でのダンス

 

かつて、母が「小学校のクラス会で教え子たちの作文を持って参加したら教え子たちは、何十年前もの自分の作文を手にし、昔を思い出し、『先生はよく保存していてくれた。』と手をとり合って涙を流した。」と話してくれた。その話を聞き、私は思わず涙があふれた記憶がある。教師と子供の心のふれあいを感じ、何歳になっても、信頼関係を保っていることは、実にすばらしいことだと思った。心のふれあいといっても、口では簡単だが、長年かかって築き上げていくことは、難題である。けれども、それが喜び、自信に結びつくことこそ教師の生きがいであると確信している。教師だけが味わうことのできる、人を教えるという喜びと責任は、他の数多くの職業の中には見当たらないものと自負しても過言ではないような気がする。

赴任して以来、三か月を無我夢中で送った。毎日毎日、子供たちから教えられることばかりである。彼らの反応は鋭敏であり、発問が悪いと反応しないし、むずかしい顔をすると警戒する。笑顔のときには、安心する。一挙手一投足がすぐ子供に投影される。

現在は、子供の実態に合った教材の精選、複式授業における直接、間接指導の難しさなど、様々な悩みと取り組んでいるが、解決の糸口がなかなか見い出せない。日々の実践を大事にするとともに、先輩の先生がたの指導を仰ぎながら、この子供たちのために、自分自身のために、努力精進していきたいと思う。

教育とは言葉でするのではなく、力で押えつけるものでもなく、教師自身の真剣さと温かい心で児童を見つめ、児童の限りない力を伸ばしてやるという教師としての自覚、使命感を強く持つことが重要だと感じている。

本校に子供を連れて行き、車の中でオシッコをもらされて困ったこと、忘れ物をして大声で泣かれたことなど困ったことが数多くある。だが、性格は素直で、元気な子供たちばかりである。これからも、このへき地の子供たちとともに、真の心のふれあいを信じ、子供のしあわせを願いながら教師として精いっぱい生きていきたいと思っている。

 

(西会津町立奥川小学校教諭)

 

 

 


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