教育福島0033号(1978年(S53)08月)-026page

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ずいそう

「教師になって」

 

星京子

 

星京子

 

私が初めて教職について、一か月余り経たころのことである。五月十九日その日は、一年生の学習旅行の日だ。私は、前々から生徒たちにとって、この旅行をいかに楽しく、思い出深いものにさせようかといろいろ考えをめぐらせて、その日を楽しみにしていた。

さて、いよいよ学習旅行も明日に迫った日、私は急激な胃の痛みを感じた。次の日になってもやはり治らない。是が非でも行きたいと思い、がんばってはみたものの、絶えず襲う激痛には勝てなかった。生徒へのすまなさや悔しさ、胃の痛みから涙がぼろぼろと出てくる。お昼ごろから胃の痛みも治まり、部屋で、ぼうっとしていると時間の経つのが遅く感じられる。

五時ごろになって「ピンポーン」というベルの音がしたのでだれかなと思い、出てみると、なんとそこにはクラスの生徒たちのたくさんの顔があった。「先生、だいじようぶ?」と言いながら私の顔を心配そうにのぞきこむ生徒たち。部屋に入ると、みんななにやらカバンの中からごそごそと出しはじめた。「先生、これお土産。かき氷食べないで、先生のためにがまんしたんだよ。」などと言ってランプを出す生徒、お守り、ハンカチ、人形と、私のちゃぶ台の上は、みるみるうちにお土産でいっぱいになった。私は感激のあまり、声がつまって、「ありがとう」と言う言葉がしばらく出てこなかった。生徒たちは、決められたほんの少しのこづかいの中から買ってきてくれたのである。

このときになってはじめて私は、教師になってよかったという実感を味わったような気がした。

 

楽しいふんい気の中での学習

 

楽しいふんい気の中での学習

 

一年二組の担任として、真新しい制服で、なんでも吸収しようと目をきらきらさせている生徒たちに接した。中学生としての心構え、三中の生徒心得この学級の組織づくりなどの指導、表簿の作成、そして教科の指導、会議への参加など、毎日毎日が新しい経験の連続である。(教育実習期間に得た経験をはるかに越えたものであった。)生徒の父兄も新まえ教師とは見てくれない。経験豊かな先生と同様に接してくる。また、いろいろな相談も、もちかけてくる。先輩の先生がたに遅れないよう心がけ、がんばっているが、思うような効果を挙げることができないでいる。

本の名は忘れてしまったが、こんなことを読んだことがある。

 

「教師の有用さは、実際の知識の分量よりも、むしろその目ざす標準によって決まる。真の数師は、鈍い思考や、怠惰な心や、いいかげんな記憶に甘んじない。教師は、いっそう高い学識と、更にすぐれた方法を求める。それは、たえず成長する人生である……。」と。

 

私には、まだまだ必要な知識も乏しいし、教師として、社会人としての経験もない。がしかし、私には先輩の先生がたより若い「若さ」がある。生徒との距離も小さいと思う。

私は、これからの毎日を、生徒の中にとびこみ、いっしょになって生徒を考え、活動をして苦しみ、喜び合っていきたいと思う。そうした中で、一人一人の生徒を理解し、指導方法を身につけて教育効果を上げて行くと同時に、自分自身が、よりよい成長をするように研修を積み重ねて行きたいと考えている。

 

(郡山第三中学校教諭)

 

 

 


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