教育福島0033号(1978年(S53)08月)-029page
ずいそう
よりよい授業を求めて
猪狩健寿
福島県の教員になって、早や三か月が過ぎようとしています。その間に見ききし感じさせられたもろもろのことの中から、授業に関することを中心として、生活日誌風に記そうと思います。
○四月六日
新学期が始まって三日。今後の生活や学習についてのオリエンテーションが続き、授業はまだ開始されていないが、おかげで、生徒たちのことも少しは理解したり、は握したりできてきた。初対面でいきなり授業に入るのではなく、こうやって生徒たちのことを少しでも知った上で授業にのぞめることはたいへん幸いなことだと思った。
○五月六日
女子生徒も男子生徒もみな好感をもって自分を迎えてくれている。
きょうは初めての授業があった。教室に入るのにも胸が早打つ。生徒たちの目は期待に光っていた。こちらの展開と生徒たちの反応とがうまくかみあい、集中のある授業ができてよかった。
○五月二十一日
きょうの板書のしかたはまとまりがなかった。もっと板書のしかたを構造的に研究する必要がある。
○五月二十四日
いつしか教師中心の授業になっているのに気づく。反省する。
○五月二十七日
きょうの二組の授業では「背理法」と「開平法」とをやろうとしていた。すぐに背理法に入ればよかったのだがその前に「矛盾」という用語をはっきりさせておこうとして、不要なほどに時間がかかってしまい、「開平法」を指導する時間が足りなくなって、説明も中途半端で授業が終わってしまった。このように悪い結果にしないように、もう少し見通しを持って授業をしたい。
円周角と中心角の関係は……
〇五月二十一日
どのクラスの生徒も「筆算による開平計算」ができた。この相当に難易度の高い計算規則をちゃんとのみ込めたのだから、これはたいへんなことである。生徒たちにはそれだけの秘められた力があるんだということを示している。
○六月五日
授業の展開を考えた上で授業にのぞんだはずなのだが、練習問題をやる時点になって、問題のやらせ方を考えてなかったことに気づいた。臨機応変に対処したけれどもこういうことは、あらかじめ、自分が説明してしまうんだか、生徒に解かせるんだか考えておく必要があることをしみじみと反省する。
○六月十九日
今、応用問題をやっているが、生徒たちには、「解き方は一つではない。自分なりの解き方をみつけてみよう。」と言って学習させている。今、教材準備として三十三ページの練習・間二を考えてみたら、それぞれ二通り・三通りの解き方が考えられた。授業では、生徒がそれぞれに考えた解き方を取りあげて学習を組織して行きたいと思う。
○六月二十二日
きょうはH先生の授業を参観させていただいた。先生は最後の最後まで結論を出さないで、生徒たちに考えさせ討論させて、結論が生徒たちから出てくるのをじっと待っている。自分はこんなに待って考えさせるような授業をしたことはない。授業を参観させていただいて、たいへん参考になった。
以上、この三か月の間に考えたり感じたりしたことをいくつか書きしるしてみましたが、「教師は生徒の活動を助け導く者である」という教育の原点に立ち返り、生徒が活発に思考することのできる授業にしていきたいと考えさせられているきょうこのごろである。
(いわき市立平第二中学校教諭)