教育福島0034号(1978年(S53)09月)-026page
ずいそう
芙蓉の花の季節に
佐藤正
夏休みに入ってまもない日、同級会の招待状が届いた。添え書きに「先生との出会いをあたためたいと思います。必ずおいで下さい。今度の同級会は、先生が主役です。」とあり、懐かしい面々の名が並んでいた。
この学級は、教科担任も学年の所属もなかったが、ある出会いがこのような姿で続いている。
彼らが中三になった六月の半ばだったと思う。学級担任のK先生が内臓疾患のため入院され、その期間の補充が私であった。当時、私は生徒指導担当ということでフリーの立場にあった。だから、この機会は願ってもないことだった。
「K先生の立場をたいせつにしながら、自分の持ち味を出していこう。」これが私の基本的な姿勢であった。退勤の途中、病院にK先生を見舞うと、先生は「安心して入院できます。」と言って、何度も握手を求めた。この学級はなにかと問題も多く、K先生の心労はたいへんだった。そのことをよく知っているだけに、私の責任は重かった。
芙蓉の花が、病室の窓辺に鮮やかな彩りを見せている夏の夕方だった。
こうして、彼らとの生活が始まった。仕事は増えたが、楽しかった。忙しい時間の合間を見つけては、面接を続けた。それぞれに、これまで気づかなかった長所があり、個性があった。帰宅すると、疲労がずしりと肩に重たかった。
そういうある日に、NとHが家出をした。私を交えた新しいふんい気への不適応か、私の指導のまずさか。私は悩んだ。このことは、K先生には伝えずにおこう。先生がたも同感だった。
しかし、どうしたわけか、学級の生徒たちには伝わっていた。近隣の生徒からの情報らしい。
「先生、N君とH君が家出をしたそうですが、ぼくらはどうすればよいでしょう。」血の気の失せた表情で、相談に来た学級委員に、私は何度もありがとうを言った。「そっとしておいてやろう。」私は、そう結論づけた。
幸いに、彼らはいわき市の観光地で保護され、無事に帰宅した。その時のことを二人は次のように言う。「ぼくらが、父たちに顔がなくなるかと思うほど殴られている時、先生が駆け寄って来て『よかったなあ無事で』というと、大きな涙をぼくらの足もとに落とした。父たちには、怖さと反抗しかなかったけど、感激しちゃった。そして、先生が大好きになった。」
あの事件を境にしたように、この学級はみごとな凝集性を発揮した。私の出勤が早いことに触発されるように、彼らの登校も早くなった。私が教卓で仕事をしていると、彼らも机に向かって朝自習に励む。
そういう中で、一つの目標が突破できた。期末テストの最下位脱出、上位進出であった。「やったあ」、帰りの学級会は、満たされた気持ちでにぎやかだった。「やればできる」「K先生喜んで」等々、快さいを叫ぶことばが学級新聞や班ノートに書き出された。先生がたが彼らをとらえては賞賛した。ほほえましい情景だった。通信票はK先生との合作であった。ほめる、認める、励ますことを中心に、心をこめて書いた。
K先生は、一か月で退院された。
−−卒業の日の最後の学級会に、私をよんで「感謝の会」をしてくれた感激が、昨日のことのようによみがえる。
芙蓉の花の季節になった。
私は、数日後にせまった懐かしい再会を、はずむ思いで待っている。添え書きに名を連ねているNやH、それに、「先生が主役」とある、一人一人との楽しい場面を想像しながら。
(石川町立沢田中学校教諭)
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