教育福島0034号(1978年(S53)09月)-028page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

ずいそう

私たちのグループ活動

高野正子

 

語り合っていたのが、本格的になにかに取り組んでみることになったのである。

 

私たち女教師五人の、グループ活動が始まったのは、今から六年前の昭和四十七年一月四日からである。以前から教育することの悩みなどについて語り合っていたのが、本格的になにかに取り組んでみることになったのである。

手始めに、あまり自信のない理科を研修教科とした。四十三年あたりから創造性を伸ばす教育の必要性が叫ばれていたので、課題は「創造性を伸ばす理科指導」と決めた。当時の活動の様子を日誌からのぞいてみる。

一月二十九日(北郷宅、二時〜五時)創造性についての広義の解釈が合わず激論となる。

二月六日(大平宅)仮説の設定と研究の方向を定める。

二月十二日(大平宅、一時〜五時)二、三、四年の電気教材の実験、時間の使い方を有効にすること。

二月十三日(大平宅、二時〜四時)五年教材を実験する。二時間ではむり、六年のは明日斎藤宅で実施。

このようにして、問題点や反省を書きながら、どうにか電気教材の実験を全部行い、授業案まで書いてまとめとした。

次の年は、前年度の授業案を実践する段階にはいり、私が小名浜西小、北郷教諭が、勿来三小でそれぞれ二年生の授業研究を行った。浜の子と、山の子の実態の差は、あまりみられず、問題意識も変りないものであった。この研究で重視したことは、実態調査を生かして、内容の精選をはかることであった。乾電池という名称は、五七%も知っている。これを軽く扱ってよいか。などと吟味していった。こうしてまとめた研究物は、県の研究物募集に応募して指導を受けることにし二年連続応募した。しかし、結果は、指導主事の先生からのはげましの言葉で終わったが、私たちは満足であった。

お互いに家庭を持っている女教師が、月二回以上、決まって集会を持つということは、なかなかたいへんなことである。家族の理解がないための悩みも出て来る。そこで、なるべく家族との交流をはかろうということになり、夏休みのキャンプを計画した。第一回は十名の参加。こうすることにより共通の思い出を作り、道々の話の中から、グループ研究のたいせつさを理解してもらおうというものである。今もこうして活動が続いているということは、集会が一つの仕事として認められたからである。

五十年度からは、会員も四つの学校にちらばり、高学年担任者が増えた。このため、理科は専科担当が多くなったのを機会に、研究科目は算数にきり変えた。そして主に、内容の精選のための仕事に移り、読書会の形をとったりして、理論研究に力を注いだ。

五十二年度が、やはり私たちのグループにとっては一つの大きな発展となった。研究主題は、算数の中では、最も、つまずきの多い「割合の系統的指導」とし、児童の実態のは握をし「わかる、意欲をもつ」授業をめざして研究を深めることにした。対象は、地域の私たち会員の勤務校四校とし、地域差も調査することにし、まず教材の系統表を作り、実態調査問題も作った。会員の共通理解のもと計画的に実施し、結果の分析も順調に進めたが、期待された成果はひくかった。私たちは、更に方部小教研の活動の一環として、授業研究会を持ち、新しい研究の方向を決定することができた。現在も、それをあしがかりとして、能率のあがる、定着率のたかい授業を目指し研究活動を続けている。明日の授業を考え、子供一人一人の将来の飛躍を願いながら、このグループ活動を推進したいと思っている今日このごろである。

(いわき市立菊田小学校教諭)

 

研究グループ参加の授業風景

研究グループ参加の授業風景

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。